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K君から久しぶりのLINE、 早朝の某所の写真と共に 舞込んで来た。町内会の 役員の仕事のついでの由。 おお、懐かしのS高裏坂! この坂下った無人踏切に 至る急坂は雪が積もると 悪友シオリがK仙転がしと 名付けた場所でしたよね。 R.リキテンシュタインの 青いドレスの女性の絵が “I know how you must feel, Brad…” (気持ちは判るわ,ブラッド…) という台詞を上部に添え、 元絵より旨く描かれてた。 その横には走りゆく影男、 当時既に薄れていたので もう両方とも消えてるか… いずれにしろ、その昔に 8ミリカメラ担いだ少年 少女の一群が駆け回った この風景を今や町内会の 翁が連絡用紙を配布して 歩くのか…、そう言えば かの少年少女らが作った 映画は『回覧板』だった。 引っ越したオネエチャン、 列車で後を追った海岸の 大団円に現れる一艘の船、 回覧板は無事届いたのか… #
by algosj
| 2024-03-24 13:54
| 思い出シリーズ
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前回「Z軸」という言葉を使ってフト思い出した。 昔の同僚がこんな手記を連ねたことがあったのだ。 特別に交友が深かったわけでもないのだけれども、 最後の場面など映画のラストシーンのようだった。 連絡も取れないので思い出すまま引用させて頂く: 学生時代の彼は二人の仲間とクリスマスの夜を 下宿の一室で過ごすことになった。男だけの夜、 せめてクリスマスらしく、ケーキでも買いにと 近所のマーケットに三人で出かけた。ホールの 大きいケーキを狙って値下げ札の貼られるまで ブラブラと店内を物色、さて、その時になって 彼らの手より一瞬早く、おばさんの手が伸びた。 哀しくも、一回り小さいケーキを提げて戻って テーブルにケーキを据え、添えられた蝋燭一本、 ケーキの真ん中に立てた。せっかくだから、と 部屋の電気を消した。残った微かな光によって 一本の蠟燭に対して二本の影が出来た。それを 囲む三人の顔。誰かがつぶやいた、Z軸だね… 数学科の三人の学生の、静かなクリスマスの夜。 ちょっとシャイで眼の涼やかな数学教師であった。 「嗚呼、青春のZ軸」という表題は彼自身のもの。 #
by algosj
| 2024-03-23 22:25
| 交友
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92歳の淑女の葬儀の翌日が、 20歳になった乙女の誕生日、 ご家族交えてお祝いをした。 ■ その昔、ポプラ並木の続く 長い道を歩いていたときに、 ランドセル背負った女児と 杖を突いたおばあさんとが 互いにすれ違う場面を見た。 まるで命が交替するような、 不思議な映画的光景だった。 ■ 1970年前後の政治状況の中、 リアルタイムに若者に読まれ 共感を呼んだ二冊の遺稿集が ある。一冊は横市大の奥浩平 (1943-1965)『青春の墓標』、 そしてもう一冊が立命館大の 高野悦子(1949-1969)の遺稿 『二十歳の原点』共に彼らの 残した日記が編纂されたもの。 故に、ここで内容紹介をする ようなものではなく、時代と 差し違えた魂に敬礼するのみ、 堆積本を掘返すつもりもない。 写真はネット上から拝借した。 検索して後者のコミック版も あることを思い出した。こう なると、一人の人生が何だか 菓子箱の中の採集標本の様だ。 ■ 独りであること 未熟であること これがわたしの 二十歳の原点だ と云うその原点からはX軸と Y軸とで示さる無数の航路が あったはずなのだろうけど、 彼らはついにZ軸を昇った。 ■ 奥浩平の本の中で記憶する 一節がある。ベルトランか ロートレアモンであったか... 確かこんな詩だったと思う。 シッ、静かに! 君の傍らを今 一つの幽霊が 過り過ぎゆく ■ 若くしてZ軸を独り昇った その垂直の航路には、然し 長年連れ添った相方からの 愛(いと)しく愛(かな)しい メッセージは聴こえない… #
by algosj
| 2024-03-16 23:51
| いのち
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OR子先生が突然逝ってしまわれるとは、 今年の弥生三月は残酷な月となりました。
R子先生は職場のマドンナでありました。 往年の原節子か河内桃子かという風貌は、 私たち後輩同僚からも憧れの対象でした。
錯綜する問題にも悠揚迫らぬ対応をされ、 困難な役職も避けず引受けて下さるその 物腰は、まるで菩薩の如くでありました。 ソフトで少し早口な弁論は何時の間にか 会議室をソフトに束ねてしまうのでした。
職場の宴会の二次会は稲荷小路のカフェ、 その壁にはイワン・クラムスコイの描く 馬車に乗る貴婦人像が掛かっていました。 その「見知らぬ人(もしくは忘れ得ぬ人)」 の絵もカフェも、集った幾多の先輩方も、 今や記憶の中にしか存在しないのですが、 R子先生と共についに「忘れ得ぬ人」と なって永遠に不動の額縁に収まりました。
教育現場の奇跡劇を示された大谷先生の 葬儀で弔辞を読まれた西方先生の葬儀に、 始動期からの流れをご存知のR子先生が 弔辞をお読みになり、彼ら大正の男達の 時代を見事に納められたのでした。然し そのR子先生をお送りする私達の世代は、 一体何処に指針を持てばよいのでしょう。
七十路で亡くなられた大谷先生の年齢に 達すればどんな境地だろうと嘗て思った こともありますが、既にその歳に至る今、 今度はR子先生の御歳に近付くのが目標、 と思うことにしたいと今考えております。
ご主人のA先生は薔薇の栽培研究家です。 R子先生の御名前の品種が今後出るのか 判りませんが、嘗て我々後輩連中は陰で オガワ・ローザとかフラウ・バッハなど お呼びしていたのも敬愛の証であります。
羽衣で空を翔ける天女の舞も、おそらく しっかりと強固な舞台があればこそ、と A先生のバックヤードを称賛したことが あります。A先生、天女もとより地上の 人に非ざりし、との古来の伝承に倣えば、 季節毎の風に光に、或いはまた、お庭に 萌え出ずる薔薇の花に、我等がローザは 必ずや遍在なさるべしと信じております。 A先生、日々再臨されるその舞台として、 どうぞ呉々も御身大切にお過ごし下さい。 ■ 以上のようなことを御霊前で申し上げた。 A先生は喪主挨拶の最後、遺影に向かい 一礼されたあと、こう仰ったのであった: 「…R子、こんな私に60年もの間、よく 連添ってくれたことを改めて感謝します。 私もすぐに行くから、待っていておくれ」 /-c (minus colour) #
by algosj
| 2024-03-15 00:39
| 交友
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昨年11/3 公開の山崎貴監督『ゴジラ-1.0』が 「アカデミー視覚効果(VFX)賞」を受賞した由。 監督・脚本に加えこの部門を自ら担当したのは、 S.キューブリック監督『2001年宇宙の旅』に 続いて二人目、実に59年振りのことだと云う。 公開直後の感想サイトを聴きつつ翌日の席を ネット予約した。百田の語りはそれ程的確だ。 『永遠のゼロ』の続編ではと言う話にも納得。※ ■ 庵野秀明監督『シン・ゴジラ』(2016)の際は、 7月29日公開後、台風が東京湾に上陸する日に 合わせて予約席に向かった。臨場感があった。 幼時に1954年の初代『ゴジラ』の洗礼を受け、 翌1955年の『ゴジラの逆襲』の感銘を刻んだ 立場からすれば、以後の東宝のゴジラ路線は、 あまりに娯楽趣味と思え、関心薄れ、離れた。 そのゴジラ離れの長い時期から覚醒したのは、 確かに「庵野ゴジラ」であったのだが、今回 「山崎ゴジラ」には静かな感動が伴っていた。 「ゴジラ」については、ここでは語りきれない。 宝田明、平田昭彦、志村喬、河内桃子も、既に 此の世にいない今、ゴジラだけが不朽の役者の ように復活再生産され続ける、あの咆哮と共に。 ■ 可憐な存在感を示した河内桃子は1932年生まれ。 昨夜遅く、長年ご厚誼を頂いてた元同僚O先生の ご主人から訃報が知らされた。同じく昭和七年の お生まれであった。改めて河内嬢の往時の写真を 眺めると、両者とも昭和一桁の同系佳人であった。 ※『永遠のゼロ』など百田原作を既に映画化した山崎貴監督に、 唯一の時代劇作品『影法師』の映画化も百田は期待している由。 己の生死を捧げ、互いの人生の背後に影法師のように従いつつ、 己を支え導く影の如きもの…そういう相手に出逢えれば幸せだ。 ”My War isn't over yet (私の戦いはまだ終わっちゃいない). ” 終えてない闘いを抱えている人達へのカタルシス映画なのかも。 #
by algosj
| 2024-03-13 02:11
| 映画
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