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まだ梅雨明けの声が聞こえないうちに 真夏のような日が続いてます。 更新もせずに一月以上経過していました。 それなのに時折通過して下さる方々も おいでのようで、有難うございます。 雨で自転車をあきらめた徒歩通勤の朝。 横断歩道の向こうに見える新装開店の ちょっと派手目のガラス面文字… 信号が変わる間に読んでみると "Can The Person Talk About LOVE While Deatitute To BREAD?" ガラス面の仕切りで単語が分かれていたりも するので読みづらいのだけど、多分そんな感じ。 "LOVE"と"BREAD"が赤い大文字で目立つ。 "deatitute"という単語が、何となくありそうで 記憶に浮かんでこないのだけど、 「パンに対して〇〇する間に、人は愛について 語ることが出来るだろうか?」という意味か。 何だろう、この文章は… 右隅の方に書いてある文字で出典が判った。 from Manon Lescaut by Antoine François Prévost 何だ、プレヴォーの『マノン・レスコー』の引用か。 と言っても、自分で読んだことはないのだけど どんな内容か位は漠然と知るのみ。 昔、クラスに「〇〇麻乃」という生徒がいた。 「まのん」と読ませるという。 もしかして、『マノン・レスコー』から採ったんですか? と尋ねると、「はい、そうらしいです」とニッコリ。 敬意を表して、小説の具体的な内容には触れなかった。 ところで、歩きながら"deatitute"という知らない単語が 気になった。職場に着いて辞書を開く。 ところが、手許の中辞典にもPODにもそんな単語はない。 あれ?もしかして"destitute"の間違い? それならば 「日々の糧に事欠くときであっても 人は愛について語れようか?」と訳せる。 <*> ただ、自分の見間違いだったかも知れないと思い、 帰路もう一度眺めてみても、やはり"Deatitute"。 帰宅してランダムハウス他を開いても見当たらないので 勝手に看板書きのミスなんだろうと結論した。 ただ、その文脈が気になるので、一体どんな場面なのか (本を読む余裕もないので)ネット検索。 英訳版テキストを画面に開き、上記文章で検索… ところが、フレーズにしてもヒットしない。 「bread」「destitute」でも不可。 (もちろん"deatitute"でも) ああ、そうか、仏文からの英訳版も色々あるだろうから 看板引用版はこのテキストとは違った訳し方なのかも。 因みに「love」で検索すれば、さすがに沢山有りすぎて 一々当該箇所を読むのは大変、そこまでして探す余裕は ないので、少し暇になったら探してみようかと。 或いは引用者ご自身も、それこそ「引用句辞典」辺りから 採用されたのかもしれないし、もしかしたらプレヴォーの 作品の言葉を一部もじって高度なヒネリをかけているの かもしれません。スペルミスと断じるのは早計かも・・・。 それにしても確かに、 「日々のパンに事欠く」つまり命が危うくなるような事態は 人類史を通じて綿々と続いてきたのだろうけども、 そんな中にあっても「人間同士の間に通う愛情の問題」は 消え去ることなく交わされ続けてきたのだろうと思われます。 いつも自転車でスイスイとではなく、 時に雨降りの中、傘をさしてゆっくり街を眺めながら歩いて みるのも面白いことでした。 <付記>(09/06/27 夜) 一日椅子に座っていたので夕刻、ブラリと近所を散歩中、 とある店先のガラス戸に地元大学の演奏会のポスター。 演奏プログラムに「マノン・レスコー」の文字が見えた。 期日は本日、という訳で思わず散歩の延長となりました。 当日券売り場に並んでいたら懐かしいS君とも出遭ったり。 ただ演奏曲目は、「前奏曲」と「第三幕への間奏曲」のみ、 帰宅後、プッチーニのオペラ版をチェックしてみました。 <*当該箇所判明>(09/07/04) その後、行き付けの古書店で『マノン・レスコー』を邦訳二種(青柳・河盛両訳)入手。 当該箇所は、各々以下のように訳されていました。 「愛」よりも「パン」を優先する文脈でした。 なるほど、ガラス窓にそう記したかの店は、そのような観点で引用していたのか…?! ”腹が減ってはいくさが出来ぬ” 「けれども、哀れな、いとしい人よ、あなたはそう思いませんこと? あたしたちの今の身の上では、女の操なんて、つまらない美徳だって。 パンなしで恋が語れるとお思いになって? ひもじさあまって、あたし、とんでもない検討違いをするかもしれませんわ。 恋の吐息のつもりでいたら、それが末期の吐息だなんてことにならないともかぎりませんもの。」 (青柳瑞穂訳1956) 「けれど、お気の毒な、いとしい方よ、 私たちの唯今のようなありさまでは、貞節などは馬鹿げた徳だとは思いませんか。 パンに不自由しながら人は恋を語れるでしょうか。 飢えのために私は抑えきれぬ軽侮の心を起こすかもしれません。 恋の溜め息と思いながら、いつか最後の吐息をつくかもしれないのです。」 (河盛好蔵訳1929) 上記英訳ネット版で確認すると、以下のようにガラス窓のとは全く違った英訳でした。 検索かけてもヒットしないはずです。 "but do you not see, my own poor dear chevalier, that in the situation to which we are now reduced, fidelity would be worse than madness? Do you think tenderness possibly compatible with starvation? For my part, hunger would be sure to drive me to some fatal end. Heaving some day a sigh for love, I should find it was my last." (ネット版英訳CHAPTER IV)
by algosj
| 2009-06-27 10:56
| 文学
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