2009年の歳旦にあたり春詞献上申上候 <*1>
「悪路杖(acrostick)」 <*2>
十二支の巡る暦を数ふれば
牛の歩みの足跡も <*3>
牽(ひ)く荷車の轍(わだち)の下に
寂滅為楽と消ゆるなり <*4>
<*1>
12月30日の深更に『法句経』と近松を併読中、
頭に浮かんだ戯詩を翌日賀状用に仕立てたもの。
年々安直な賀状になって来ました。
悪路に杖さす歩みなれば、文意立たざるところ
ご寛恕あれかし。
<*2>アクロスティック(折句)
各行頭字「十牛牽寂」
居なくなった牛を尋ね求める牧童の一連の過程
(探索・発見・牛に乗っての帰舎・自他ともに消える静寂の境地…)
に禅の象徴を説く「
十牛図」参照
<*3>牛の歩みの足跡
初期仏典『法句経(DHAMMAPADA)』の第一句参照
「ものごとは意(こころ)に支配せられ、意を主とし、意より成る。
人がもし汚れた意をもって語り、また行えば、かれに苦が従うこと、
あたかも車引く牛の足跡に車輪が[従う]如くである。」
<*4>「寂滅為楽(じゃくめつゐらく)」
『大般涅槃経』巻第十三「聖行品」第十九之下
諸行無常 諸行は無常なり
是生滅法 是生滅の法なり
生滅滅已 生滅滅し已(おは)りて
寂滅為楽 寂滅を楽と為す
この有名な四句の箇所は羅刹とのやりとりが興味深いのだけど、
それより、この四句、「
いろは歌」の出典とも言われたりします。
各行、次のように対応する由。
一寸無理があるようにも思えますが…
諸行無常 いろはにほへどちりぬるを
是生滅法 わがよたれぞつねならむ
生滅滅已 うゐのおくやまけふこえて
寂滅為楽 あさきゆめみじゑひもせず
cf.近松門左衛門『曽根崎心中』下巻「道行」
「この世の名殘り、夜も名殘り。
死にに行く身をたとふればあだしが原の道の霜。
一足づつに消えて行く夢の夢こそ哀れなれ。
あれ數ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、
殘る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め。
寂滅為楽と響くなり。」