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最近友人のO氏と近くの喫茶店で落ち合っている。 二人とも折り畳み式ミニチャリで各々自宅から5、6分の距離。 同い年の彼は(私名付けるところの)アーティスティック・コーディネイター、頭にスーパーかハイパーを冠してもよい程にどんなアートに対しても一家言を有するので話題は縦横無尽、それでいて包括的な人間力があるので、飽きないし疲れない。 何でもござれのその彼が敢えてこれまで近づかなかったコンピュータの分野にやっと重い腰を上げる段取りとなった。 そのお手伝いを最近少々。 彼のご両親は共に高名な歌人、先日は母上からその第六歌集を頂戴したので葉書に御礼したためて彼に届けて貰ったところ、いずれお会いできればとのお言葉の由。 昨年他界された父上は私などからは雲の上のお方だったので光栄の至り。 以前古書店で入手した歌集にも眼を通しておきたいと思います。 思えばかつての下宿時代以来、高齢の方とのお付き合いは、私の交友歴にあたかも大樹をわたる風のような趣きを与えてくれていた。 今の職業を得たきっかけともなったOF先生が亡くなられて久しい。 京都に帰られた頃、私の巻紙の手紙へのご返事に曰く、 「お手紙を読んでいると、端の方で家内は物差しを手に、今日のお手紙は何メートルかしら・・・などと言っております。」 親戚筋の大伯母からの返事は、たっぷりした巻紙を開いていくとまず流麗な仏画が現れて…という趣向。 高齢の方との、これっきりしかないかもしれないやりとりは、自ずと長い手紙になることが多かったのかもしれない。 10年程前に96歳で亡くなった母方の祖母に、暮らしている街の様子を山や川、祭りの模様などを絵巻のようにしたためて長~い手紙を巻いたことがある。 後で叔母から聞いた話では、いつも袋に入れて身の回りに置いてくれていたそうだ。 それを聞いて、もっと頻繁に書けばよかったと痛切に思った。 (亡友子規への思いを連ねた漱石の『猫』中篇の序文が思い出される…) * 若い人たちとは、恐らくまだ語り合う時間がありそうだけど、年配の方との時間はそう沢山は残されてはいない(筈)。そう思いつつも、電子メールのやりとりの方がつい優先され、むしろ頻度も高いのはどういうわけだろう…。 メールの場合、概ね相手との色んな次元での同時性を共有することが当たり前のようになってしまうのだけど、ふとチャールズ・ラムの『エリア随筆』の中に、手紙の持つ「二つの現在(two presents)」というテーマがあったのを思い出した。 (だけど例のごとく、どこの書棚にあるのか探せないので、探索は中止) 長らく病んでおられる別の友人の母上のことが思い出される。 お元気だった時には、お電話すると「マーァ!先生…」と言って下さるそのお声をとても嬉しく感じたものだった。 眼の前に広辞苑第二版の背が見える。 高校時代から韋篇何絶か、その度に表紙を縫ったりカバーを掛け直したりしていたのだが、その母上から頂戴したさる銘菓の包装の布地で張り直したところ、この10数年ビクともしない。 もうお電話を交わすことは叶わない状態とお聞きしているのだけど、絵手紙のようなものなら見て頂くことも可能だろうか…。 * 季札挂剣(きさつけいけん) 春秋時代の呉王寿夢の王子季札は、旅の途上立ち寄った徐君が自分の佩刀を欲しがっていたのを知りつつ帰路に渡そうとしたところが、既に徐君は亡くなっていた。 季札はその墓に剣を挂(か)けて去ったという。 「若シ書ケルナラ僕ノ目ノ明イテルウチニ今一便ヨコシテクレヌカ…」という病床の子規に対して果たせなかった漱石の思いが、「季札」のエピソードに溢れています。 * 夏目漱石『我輩は猫である』中篇自序 (http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/2671_6498.html) ただ、ボランティアによる「青空文庫」のご苦労な入力・校正は、 有り難いことではあってもやはり限度があって、 チラと眼を通しても以下のような誤植があります。 ×「御無沙汰シテマス。」→ ○「御無沙汰シテスマヌ。」 ×「不折ハ今巴里(パリ)ニ居テノ処へ通ッテ」→ ○「不折ハ今巴里(パリ)ニ居テコーランノ処へ通ッテ」 ×「僕ガトツケテヤッタ。」→ ○「僕ガ年尾トツケテヤッタ。」 まあ、無料ですぐに読めるのには良いのですが…。 「ご無沙汰してます」では、病床の子規の気持ちはとても済まない。 * その後、再チェックしてみたら、2007/7/19の修正でかなり直っていた。 一年に一回の「ムシ取り」らしい。 それでもなお「無沙汰シテマス」については、依然チェックはご無沙汰中のようだ。
by algosj
| 2007-04-10 23:48
| 交友
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