突然聞かれた。
「芭蕉は男色だった?」
最近そのテーマを記した本に眼を通していたような気がするので、
同じ本を読んでいたのかとあれこれ聞いてみると、夢の話とのこと。
「どういうわけか自分は芭蕉になっているのだが、
目の前で若い男が号泣している。
芭蕉である自分は、しかしキリリと別れて旅立つ…」
そんな夢を見たのだそうだ。
枕元に積んだ本の中から『江戸俳句夜話』(復本一郎著)を引っ張り出して、
杜国(とこく)の話を紹介。
坪井杜国(本名庄兵衛)
名古屋蕉門の有力者で富裕な米穀商だったが、
米の売買で罪を得て死罪のところを危うく領国追放、
34歳にして死去。
芭蕉から特別眼を掛けられたと言われている。
美形だった由。
芭蕉が杜国との別れ際に詠んだ、凄まじいほどに妖艶な次の一句…
「白罌栗(しらげし)に羽もぐ蝶のかたみかな」
白いケシの花にとまった蝶が飛び立つ一瞬、
はらりとケシの花弁を一枚落とす。
それはまるで、蝶が自分の羽を形見としてもいで置いていったようである…
という趣向。
そのように煮詰まった表現やらをベースに、
先のテーマが観察されてもいるらしい。
ランボーとヴェルレーヌ、ゴッホとゴーギャン…、
彼らの作品に触れる喜びからすれば、
彼らの細かい関係性をつぶさに判りたいという趣味は、私には欠けている。
(作品への反映というテーマはあるにしても、大概私にはどうでもよろしい…)
確かに、この「白罌栗」の句はすごい。
この句やら芭蕉〇〇説(色んな説を持っている人です)を
具体的に知らない人が見た夢もまた、すごい。
号泣する若者を後にキリリと別れて旅立つ芭蕉…
先の句の解説をなしているようで面白かった。
隣家の庭に梅が満開である。
猫の
ジイラがじっと窓辺で眺めている…。
梅咲くや夢に杜国と別れけり
家人の作とした