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1日は中高・専攻科、合同の卒業式でした。 15歳から60数歳までの方々総勢20数名のしめやかな式典は赴任来初体験なので、さて静かに座って味わいたい・・・と思っていたのですが、ところが何と、事前の会議で式典役割分担表をみると、どういうわけかビデオ係。 これまで前(々)任校から長らく放送部顧問を続け、マイクセット・録音・録画等々PAに責任を持つ関係上、式典でノンビリ参列ということがなかったのです。 有能な部員諸君の働きを頼りにそれなりの意義を感じつつも勤めてきましたが、ようやく放送部を離れて椅子にゆっくり…と思ったのに…! 全体の記録用ビデオ撮影は別の方が担当なので、こちらのビデオは保護者席の前に設置したモニター大画面へ卒業生を前面から拡大投影する役目とのこと。 前日の予行で、流れとズームの具合をつかんでフロアーの位置をあちこちチェックしたのですが、老若男女の背丈の高低など考えれば、やはりギャラリー前方から俯瞰するのがベスト。 (フロアー上に陣取って記録ビデオに映ってしまう愚も避けられます) スティルカメラでの記録担当者と競合しない位置を確保してカメラ・デッキ・三脚を固定。電源ドラムをステージ脇から二階まで引き、モニターまでのコードもきれいに配置完了。(予備のビデオカメラまで用意したのは大袈裟すぎたかも) 狭いギャラリーは斜めの鉄骨をまたぐようにして何とかスタンバイ。 後ろの暗幕も半分引けば、下から見ても私の存在はほとんど消えたはず…。 撮影者・ヴォワイヤン・眼球機構の構えというものは、文字通り「黒子」の存在に自ら徹することなのではないでしょうか。 「視る存在」に徹すれば自ずと存在は消えていく… (何と、ノゾキの構造と同じではないですか!) 映画『真珠の耳飾の少女』にも登場した、あの黒い布を被った中に被写体が映し出される「カメラ・オブスクーラ」のobscureとは、「薄暗い、光を奪われた、隠された」という意味でした…。 (因みにCAMERAとはchamber、部屋の意味ですから、略称の「カメラ」は本来「暗い部屋」、雨戸を閉めきった部屋に節穴からの光景が壁に映じたのがピンホールカメラの起源でしょう) ともあれ、そんな視点からカメラのパン/ズームを適宜に卒業生諸君・諸氏の姿を追えば、幼な顔の緊張ある華やぎと理療科の年配の方が息を呑む表情も眼近に見てとれます。 職員席に深々と座っておれば見ることのできなかった瞬間が、私の眼の前に展開したのでした。むしろ役得だったのかも知れません。 後で伝え聞いた話では、皆勤賞を代表して受けた専攻科の女性を撮った際のこと。 袴姿で髪も綺麗にセットした彼女は優雅に美しく静々と歩を進め、私はビデオで追う・・・。モニター画面に写っていたそのアップの映像を、父親らしき男性が保護者席から立ち上がってカメラに納めたのだそうです。 聞けば、その女性は以前の学校で長らく不登校だったとのことでした。 若年の卒業生の中には重複障害を持つ子もいて、介添えの先生の傍でやはり緊張気味。視覚・聴覚が不自由な○さんに手話で伝える先生の姿…。 各々高等部の生徒会現・前会長による送辞・答辞の、共に凛とした声が会場に響く中、私のビデオファインダーは、卒業生・在校生の表情を順次追いながら、最後は、指の文字で伝え合う二人の姿に焦点を合わせていました。 当日、前任校の保健室の先生にメールで確認したことが一件。 保健室・相談室登校の●さんが、何年も掛かってようやく冬季講習までも参加できるようになっていたのでした。 卒業証書の筒を持ってVサインの写真が添付されての返信が到着、会場に列席しての卒業だった由。 ニッコリ笑顔のその写メを、長らく関わってくれたスクールカウンセラー宛に転送して礼を述べたところ、涙がこぼれたとのコメントが返ってきました。
by algosj
| 2007-03-03 23:16
| MO学校
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