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昔、札幌出張の折、足を伸ばして小樽をブラリ探索したことがあります。 土産にワイングラスとオルゴールを求め、現地から郵送しました。 オルゴールと言っても、高さ30センチほどの陶器で出来た老チェリストの像。 椅子に腰掛け、眼をつぶって静かにチェロを弾くのです。 いわゆるオルゴールの調べではなく、チェロの音色。 機械仕掛けの演奏装置という意味の「オルゴール」なのでしょう。 ゆっくり流れるその懐かしいメロディーが、「ロミオとジュリエット」のテーマ曲だと判ったのはしばらく経ってからでした。 20年ほど経った今、そのオルゴールはもう音を奏でることもなく、老チェリストの頭も腕も動かなくなってしまいました。 ただ、独りじっと目をつぶってチェロを手にしたまま、眉間の皺が哀しそうです。 さて、前回、メタファー言語の例に「バルコニーに於けるジュリエットとロミオ」の話が出たので、ワインのラベルにもなっているその場面を映画で確認してみようと思い立ちました。 DVDを二本、オリビア・ハッセー(ジュリエット)の68年版(F.ゼフィレッリ監督)と、ディカプリオ(ロミオ)の96年版(バズ・ラーマン監督)。 前作評判の時には街角でポスターを見た記憶が…。 原作では14歳になろうとするジュリエットですが、そんな雰囲気のオリビア・ハッセーもその後、布施某とヒンドゥー教の結婚式を挙行、そんな写真も週刊誌で見た記憶が・・・。 モンターギュ家のロミオが潜り込む仮面舞踏会でキャピュレット家の令嬢ジュリエットと出逢う場面、そこで例のテーマ曲は歌われるのでした。 ナルホド、これだったのか・・・。 まあ、話の筋は皆様ご承知のことでしょうから、ここでは修道僧ロレンスについて一言。 いくら抗争中の両家の確執を解消することになるかもしれないとは言え、恋に突っ走る中高生の年の男女二人を両家に内緒で結婚させるとは・・・! 無謀です、ロレンス殿。 「神父様」と呼ばれてますけど、「friar」って修道士ですか。 (聖フランシスの話が出てましたから、Gray Friars、フランチェスコ派の修道僧ですね。因みに、Black Friarsはドミニコ修道会。地元のドミニコ学院の女子高は伝統的な黒の制服を、生徒の希望でしょうか、流行りのデザインに変えたようですが、いいのかなァ・・・) まあ、物語ですけど、一修道僧が、互いに死人をも出すほどに執拗な権力抗争中の両家の男女を、親に無断で秘密裏に結婚させてしまう・・・、これが悲劇の引き金ですね。 ロミ・ジュリの恋の眼差しを燃え上がらせたのが火薬だったとしても、普通人よりも良識と分別に長けているはずの立場の人が・・・油を注いで導火線を点けてしまうとは。 更に、ロレンス修道士は、危ういことをやらかすのでしたね。 この悲劇物語の導火線を配置する影の舞台回しは、このロレンスなのです。 両家の若者同士の争いで、ロミオは友人マーキューシオを殺されたことで相手のティボルトを殺し、ヴェローナを追放の身となります。 次いでジュリエットも親の意向で貴公子パリスとの結婚が迫ることに。 パニックのジュリ嬢にロレンス師の授ける「解決策の機転」が、何と、死んだように眠る効果の秘薬。 まあ、物語ですけど、ね。 68年ハッセー版では役柄上もあまり熟慮ありそうに思えないロレンス役のこの方、 幾つかの薬品をジャボジャボと調合! …原文では"distilled liquor(抽出液)のvial(薬瓶)"を、ホレと渡されるのですが… 96年ディカプリオ版では、ジャボジャボではなく、いかにも、といった感じの小瓶でした。 こちらのロレンスもどこか怪しげです。 秘薬でもって人の世の危うさを調合しようなど、やはり徳の高さとはちょっと縁遠い人物。 法衣を脱いだ背中に透けて見えたのは、タトゥー…? いずれにしろ、「はい、寝る前にこれを飲めば見かけは死人のようになり、42時間後に目覚めます」とは、随分と乱暴な、ロレンスさん! かくして仮死状態のジュリ嬢、格別の蘇生術も検死も受けないまま、先祖代々の霊廟へ安置。 (現代版ディカプリオの方も、ここは原作通りの筋立てにしないと先へ進まない) この現代版の霊廟デザインは夢のように豪華です。 ロミオの「夢の帝王」の座というわけなのでしょう。 ともかくパリスとの重婚については、取り合えずこれで回避、次にロレンスはロミオ追放先のマンテュアに向けて、ことの次第を書いた手紙を届けさすわけです。 ところが、思いもよらぬ手違いのために手紙は届かないことになります。 原作では使者が検疫に引っかかって足止めを食らうことに。 ハッセー版では、あろうことか、この使者、驢馬で出かけて「ジュリ死亡」の早馬に追い越される!(ロレンスさん、あなたの計画遂行には慎重さが随所に欠けてます!) ディカプリオ版では、ロレンスの送った宅配便のバンより一瞬早く、ジュリ死亡の知らせの車が到着! この「一瞬の差」の悲劇性を、このディカ版では最後まで映画的に処理します。 ともかく、ロレンスの計画をロミオに伝えるすべは失われ、ジュリ嬢葬儀の模様を見たロミオの下僕が、見た通りのことを伝えてしまい、絶望したロミオは毒薬を入手、霊廟に横たわるジュリエットの傍で一気に飲み干すことになるのです。 やがて目覚めたジュリエット、遅れてやって来たロレンスは夜警の足音にジュリエットを促すのですが、彼女はロミオの遺骸にとりついて動こうとはしません。 当然ロレンスには、自らの計画の失敗がもたらした悲惨への衝撃に加えて、事態が露見して身の咎めを負うことへの怖れもあったことでしょう。 (霊廟内でのロミオとの斬り合いの末に貴公子パリスも死去、御曹司二人の死骸を見てロレンスが如何に動顚したか。このエピソードはディカ版ではカット。) とんでもないことですが、ジュリエットを置いたまま、ロレンスはその場を離れ、独り逃げ去ってしまいます。 しかし、ロミオの死骸の傍にジュリエットを置き去りりすることが次の悲劇の原因になることを予想できなかったほどに、ロレンスは動転してしまったのでしょうか。 次に起こる悲劇を抑えられないほどに自己保身に苛まれたのでしょうか。 神に仕える修道の道の、老いて猶、到達できない深さが思われます。 (ディカ版ではパリスだけでなくロレンスも霊廟に入って来ません。この版の霊廟は、原作を超えて完全に二人だけの「永遠の殿堂」という設定です) それにしても、ロミ・ジュリの二人は、こんな狂言回しのロレンスの策動と関わりなしに、実は破局に向かって二人だけの運命の道を歩んでいたのではなかったでしょうか。 二人の台詞に実は、死の予感は伏線のように潜んでいたのでした。 ロミオと逢える夜に向かっての、ジュリエットの言葉 「夜よ早くやって来て私のロミオを渡しておくれ。 ロミオが死んだらお前に返してあげよう。 細かく刻んで空一面の星にするがいい」 (第三幕第二場) ロミオが下僕バルタザールのジュリ死去知らせを受ける直前の、夢についての独白 「彼女がやって来て死んだ俺の唇にキスをしてくれる。すると俺は生き返って帝王となる…」 (第五幕第一場) 結果的には、二人の結婚によってではなく、二人の悲劇的な死によって両家の和睦を生ぜしめたロレンスも、原作では実に神妙に己の非を認め、領主(Prince of Verona)に向かって言うのです。 「余命幾許もない老残の身には、極刑もいといは致しませぬ」 私が領主なら、人智の及ばぬ人の運命に触媒の手を貸したこの老修道僧を、この一言で許してやりたいと思います。二本の映画版には窺われないロレンスの慟哭が聴こえるからです。 ハッセー版もディカプリオ版も、このロレンスの最後の懺悔はカットしてました。 二人の像を建てようとの両家の誓いは、ハッセー版は忠実。 両版にしつこいほどに再現されているのは、領主(ディカ版ではその名もプリンスという名の警察署長)の台詞の "all are punished.(全て皆が罰せられたのだ)"。 領主自身も、殺されたマーキューシオの親族だからではないけれど、このロミ・ジュリの悲劇に皆が関わっているということ。ただ、この台詞は、観客の共感をどれだけ得られるのでしょう。 確かに両家の確執、家族のエゴ、友人知人の要らぬ関わり、偶然のもたらすハプニングと行き違い、及ばぬばかりか一層事態を混迷させるあらずもがなの人智浅慮…等々、運命の糸口も含んだそんなあれこれが、特定の人間関係に及ぼす悲喜劇の導火線。 しかし実は、互いが互いの導火線なのではないでしょうか。 その入り組んだ(或いは乾燥し或いは湿った或いは切れた)導火線のモジャぐれ… チェロの響きの奏でる「ロミオとジュリエット」の曲も今や絶え、腕も首も動かなくなって、ただ瞑目するのみの冷たい陶器の置物となり果てた、かの老チェリストのオルゴール…。 夜空に駆け上った花火に心ならずも自らの手で点火してしまった痛哭の思いを胸に抱いて、猶もしばらくは生きなければならなかっただろう老修道僧の姿が、そのオルゴール像にダブったように思えました。 それにしても、どうせ「現代版ロミ・ジュリ」ならば、既に『ウェストサイド物語』の完成度の高さがあろうに・・・と思うわけですが、このディカプリオ版、冒頭から両家のチンピラヤクザの台詞が、きちんとシェイクスピアの原文そのまま採られてます。 勿論、ずーっと原文通りではないのですが、照らし合わせてみた箇所箇所は一言一句そのままなのです。 我々が江戸時代の歌舞伎の台詞そのままで、現代ドラマが演じられるのだろうか・・・と思いました。 英語文化圏におけるシェイクスピアの息の長さが思われた次第。 しかし、ネイティヴの耳には、現代劇として実際はどんなニュアンスの台詞回しなのでしょうかネェ・・・? ところで、この『ロミオとジュリエット』(1595)も、他のシェイクスピアの作品に見られるような先行作品があるようです。 (ダンテ以外はネット情報の引用で、まだ現物未見) ・マスッキオ・サレルニターノの短編小説(1476) ・ルイジ・ダ・ポルト(1530) ・マンテオ・バッデッロの『ロメオとジュリエッタ』(1554) ・同上仏訳版 ・アーサー・ブルックの『ロミアスとジュリエットの悲しき物語』(1562) 尚、物語の原型となる二大権勢家の確執に関しては、 ・ダンテの『神曲』の「煉獄篇」(-1319)に、試練を受ける実在する名門両家の記述があります。 「来たりて見よ、思慮なき人よ、モンテッキとカッペルレッティ、…彼ら既に悲しみ…」(山川丙三郎訳) (PURGATORIO CantoⅥ LL.106-108) "Montecchi e Cappelletti"、 MontagueとCapulet ですね。 このカぺレッティ家の邸宅ですが、「ジュリエッタの家」として今もイタリアはヴェローナにあって、何と、物語の最後に出てくる「ジュリエッタの像」まであるとのこと! http://ita-lia.jp/travel/file003/pagina02.htm 像の年代までは判りませんが、上記、観光客もバルコニーでジュリエット気分のようです。
by algosj
| 2007-02-03 23:45
| 文学
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