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昨日は「憂国忌」の報道に接しなかったので、 数年前のファイルを開けてこんなものを引っ張り出してみました。 「泪雨の放課後」二千三年十一月二十五日 或「え、原稿今日までだったの?それも七五〇字で五枚も?!」 係「そうですよ、まさか出来てないなんてことないですよね?! 先生方はいつも私達に提出期限厳守! なんだから。」 或「ウ、ウーン。頭の中にはあるんだけどね…。 あ、そうだ! 君、パソコンで口述筆記ってのはどう? 将来の技能習得に。」 係「エー、私だって暇じゃないんですよ。でも… マ、いいか。外も涙雨で傘も無いことだし…」 或「何だい、その涙雨ってのは?新撰組かい?(突然、唄い出す) ♪ 賀ァー茂ォの河原ァにィー、千鳥が騒ァぐゥー、 まァたァも、血のアァメー、ナミィーダァアーメェー♪ 君、知らないの?『新撰組の唄』を。昔、流行ったんだよ。」 係「何ですか、先生。いくら幕末好きの私だって、そりゃ飛躍しすぎですよ。 それに、第一そんな唄を筆記しろって、キーボード叩きづらいったらありゃしない! 今日はね、先生、十一月二十五日、『憂国忌』! 三島由紀夫の自決した日ですよ。 三十三回忌の今日は涙雨なんだナァって思ったんですよ。」 或「オ、そうか…。忘れてたよ。もう三十三年経つんだねェ……。」 係「先生、その日を覚えているんですか?」 或「そうさ、丁度、下宿で風邪引いて寝ていたところを、 友人がドカドカと廊下を足音立ててね、 ガラっと襖を開けるなり、おい、三島が自決したゾ! ってね。」 係「フンフン…それで?」 或「そうか、やったのか…と身を起こして布団の上に座り込んだまま、 友人に紅茶を煎れようとポットに手を伸ばすんだけど、 風邪の悪寒か何か判らないけど、手先がビリビリ痺れるような感じだったよ。」 係「先生、その頃、三島を読んでいたんですか?」 或「いや、当時それほど彼の作品に強い関心を持っていた訳じゃないけどね、 彼の言動は非常にセンセーショナルに世間を刺激していたからねェ。 ボディビルで肉体を鍛えたり、自衛隊に体験入隊したり、 東大全共闘との公開討論では、 『諸君が一言「天皇」と言って呉れたら、自分もバリケードの中に入るのだが…』 などと言ってみたり、一方、珍気に見える制服の『楯の会』の結成やら…。 僕ら、少し小馬鹿にしている向きも正直あったかもしれない。」 係「フーン、小説で売れるより、言動で売れてたんですね。」 或「いや、彼は元来、名文家ですよ。古今東西の文学の伝統は踏まえている人だと思うよ。 教養部の英語の授業で『THE SOUND OF WAVES』を読まされたのも、 その頃だと思うけど、何の英訳か判るかな?」 係「波の音? …あ、『潮騒』ですね!」 或「さァすが、三島愛好少女! 当時は生意気にも、何でこんな小馬鹿くさいものを読ませるんだ、などと思ったんだけど…」 係「本当に生意気な時期だったンですね、先生も。」 或「話の腰を折らないように! でも生意気なのが若者の特性です。 で、当時、三島はライフワークの『豊饒の海』四部作を連載中だったりしたからね。 一方で彼、ともかく行動してるわけでしょ? そんな時期に、何だ、こんな牧歌的な『潮騒』なんか読ませて!と思ったわけ。」 係「そんなにアホ臭いことですか、牧歌的って?」 或「そんなことないんですよ、僕の方が青臭かったんですね。 世界が本当にかくあるべきだという在り方は、 やはりしばしば『神話』をモデルとするんでしょうね。 事実、しばらくしてから、『ダフニスとクロエー』を読んだ時…、 君知ってます?『ダフニス…』」 係「音楽でしょ?」 或「うん、ラヴェルの作曲で有名だね。シャガールの絵も素敵ですよ。 もとはロンゴスというギリシャの作家の作品です、3世紀くらいかな。 岩波文庫に入ってます。 それを読んだ時にね、あ、これは『潮騒』の世界じゃないか、と思ってね。 三島自身が何かで書いていると思うけど、 やはりそんな神話的世界を表現したかったらしいんだね…。」 係「その火を飛び越して来い!と叫ぶあの娘、初江…ですよね。」 或「そう、映画で吉永小百合が演じた…」 係「え、山口百恵じゃないんですか?三浦友和との共演で…」 或「何作も昔から作られているんですよ、まあ、それだけ名作なのかもネ。」 係「ところで、三島って何歳で自決したんでしたっけ?あの市ヶ谷駐屯所の鉢巻姿。」 或「確か昭和の年号と同じ年だから、満四十五歳か。」 係「え、うちのオヤジの年!」 或「そう?うちの父も大正十四年生まれだから、彼と同じ年なんですよ。 それで何かちょっと年代的にも感ずるものがあってね、 終戦時二十歳なんですよ、彼らは。」 係「どういうことですか?」 或「だから、新撰組の唄なのサ、 『♪ 武ゥ士ィと言う名ァにィー、命を賭ァけェーてェー…♪』」 係「先生、もうその辺で!タイピング大変なンですからァ…」 或「何で、時計見るの?君ィ。 人と話してるのに、失敬ですヨ。」 係「だって先生の原稿が出来てたら、こんなお付き合いしなくても良かったんですよ、私…(グスン)」 或「君ィ、何も泣かなくたって…、済まん済まん。じゃ早く終わらせようか。 別に短くたって良いンだろう?余ったら誰かのカットでも入れておきなさいよ。 絵ェ、うまい生徒沢山いるでしょ?」 係「わかりまヒた。つづけてクラサイ。 (ウーン、本当に何だか疲れてきたゾ、早く終わってクレヘェ…!) 或「それじゃァ時間を飛ばして… エー、突然僕は教員になりました。」 係「何ですか、それ? マ、どうぞ。」 或「赴任先が県北の藩主ゆかりの土地でね、 連絡来た時から、お寺に寄宿させてもらおうと思ってネ、 あれこれ頼んではいたんだけど、結局普通の下宿屋でね…」 係「普通だと、まずいんですか? ア、いえどうぞ先を… (危ねェ、又講釈始まると長くなるからナァ…)」 或「僕がその町で最初に取った行動はですね、町の下駄屋で桐下駄を作ってもらい、 カラコロと川向こうの寺を訪ねて和尚と問答…」 係「(又、頓狂なことを…)」 或「いきなり玄関で名乗って…」 係「頼もう!ですか?」 或「いや、そんな時代じゃないですよ。 ご免下さい、川向こうに下宿することになった教員ですが、 和尚さんと話がしたいと思いまして…と申し出るとネ、取次の人が曰く 『年取ったのと若いのと居ますが…どちらが宜しゅうございましょうか』と来るわけだ。」 係「先生、何と?」 或「まあ、若い坊さんとはいつでも話できるけど、老僧は貴重だからね、 いつ何どき、どうなるか判らない。 それで、今日はまず年輩の和尚さんに…と申し出たわけです。 春の風吹き抜けるお堂で、老僧と対座しての話は何とも閑かな…、 ウーン、昼寝したくなってしまうような午後の昼下がり…」 係「先生!昼寝されたんじゃァ、私、困るンです。 もう暗くなって来たしィ、そろそろ原稿提出しないと、私の責任になっちゃうンですよ。」 或「あ、そうだったね。じゃ、一気に三島へ話をつなげるよ、良いかな? 和尚との話は、延々、インド・チベット仏教の話から 「中有(チュウウ、死んでからの四十九日間)」の話題、 そして三島文学のテーマに広がったと思いなさい。 かくて、老僧曰く、“わしは、最近三島の『豊饒の海』を読んだんじゃけどナ。 どうも彼は、生まれ変わりを信じていたんじゃなかろうか…” と、長い眉毛をひねる…」 係「それで?」 或「いや、それで話は終わりなんだよ。 その日は遅くもなったし、又そのうち伺いますと言って寺の門を出たきり…。 学校の仕事もマァ若手なもので目一杯やってましたからネェ、 生徒会の幹部生徒らと学校に泊まりこんだりして。 それでもう、下駄をカランコロンと川向こうの寺に和尚と問答しに行く余裕もなくなってしまった。」 係「じゃ、その老僧…和尚さんともそれっきり?」 或「そう、それっきり。でも生まれ変わりのことに関心を持っていた和尚さんだから、 今ごろ、例の若い坊さんに乗り移っているかもしれないネェ…、 …何なら僕も、君に乗り移って原稿の残りを仕上げるとか…!」 係「イエ! も、もうイイですよ、終わりにしましょう! 後の余白はこちらで何とかしますから。」 或「お、そうかい。それは助かる。よろしく頼むね、ご苦労さん!」 以上、三年前の「憂国忌」(三島由紀夫三十三回忌)の日、 すっかり忘れていた校内誌の原稿を係の生徒に取りに来られた時のもので、 しばらく待ってもらってその場で流し打ち。「口述筆記」は勿論ウソです。 「涙雨」と「憂国忌」のくだりは当日廊下で立ち話の三島愛好少女とのやりとり。 後は架空インタビューにて思いつくままの昔話です。 「新撰組の歌」は実際歌って聞かせました! それにしても、死んだ後も成長し続ける作家というものがあるようです。 いや、或いは、時代が彼に追いついて行くのかもしれない…。
by algosj
| 2006-11-26 23:40
| 文学篇
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Comments(7)
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☆a
at 2006-11-28 16:43
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初めて、読ませていただきました。
時間がなくて最後までは読めませんでしたが・・・ 「アルゴス」の意味を調べようと、語源由来辞典をみてみましたが、見つけることができませんでした。 でもそこに、習慣ランキングがあるのですが、今週の一位は「クリスマス」という言葉でした。X’masとアポストロフィをつけるのは間違いで、正しくはXmas、もしくはX-masなのだそうです。 私はいつもX’masと使っていたので逆に正しい使い方のほうに違和感を覚えてしまいます(・・;) ALさんはきっとご存知だったかもしれませんね☆
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☆a
at 2006-11-28 16:48
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読み直したら、週間の漢字間違えてましたね(++)
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algosj at 2006-11-28 20:48
☆a atさん、お寄り頂き感謝致します。
ALGOSとはギリシャ語でpainの意味です。(http://algos.exblog.jp/3746610/) 確かに、CHRISTOの「CH」がギリシャ語では「X」なので、欧米でも古くから(RANDOMHOUSEによると16世紀半ばから)「Xmas」と略記されるようですね。ただ日本では、省略したことを意味するアポストロフィを付けた表記がいつ頃からまことしやかに使われており、最近やっと消えていく向きが出始めましたね。 学校英語では「Mr.」「 Mrs.」など略記する際にドットをつけるように教わりませんでした?ところが最近はそんなもの付けない表記が多いですね。(昔は手紙に一々「U.S.A.」などと書いたものなのに…) 思うに、近年メールアドレスやらURLでドットが独立した意味を持ち始めたので「省略ドット」は省略される運命なのでは? 「正しい」も「誤記」も、どうせ流れ行く言葉の世界のことですから! 「習慣」も「週間」も一週間経てば習慣になってしまうことでせう…。
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☆a
at 2006-11-29 16:42
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確かに、言葉は時代や使う人によってもどんどん変わりますね☆
今朝のTVでニュースキャスターが、倖田來未の話題を伝えたときに、 「エロかっこいいで話題の・・・」と言ってから、「実は私、昔初めてこの原稿を見たとき、本当にこんな言葉を読んでいいものかと思ったのに、今じゃ、あたりまえに読めてしまっていますね。」と言っていました。 言葉を仕事としている人でさえそうなのですから、私などは、どんな言葉でもすぐに慣れてしまうはずですね(^^)
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algosj at 2006-11-29 19:44
その昔、「ヤクザみたいな言葉遣い」としてヤリダマに上がっていたのが、実は「~です」という語尾デス。
現代日本語の見本のようなNHKアナウンサー初め誰でも丁寧語として認めるところですが、「~でございます」を思いっきり略した「~です」は、今でもヤクザ映画でお馴染みの仁義の挨拶「お控えなすって!手前、生国と発しまするところ○○デス…」柴又の寅さんも、この挨拶で健在デス。 ただ「エ○カッコイイ」とか「エ○カワイイ」とか当たり前に読めない私は、断言しますがコレ、寿命短いデス、きっと。粋の良い言葉として定着するにはインパクトとシラブルの軽快さに全く欠けるからデス。 「言葉を仕事としている人」とそうでない人が居るのではなくて、「言葉を大切にしている人」とそうでない人が居るのだと思いますが、どう思われます?
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☆a
at 2006-11-30 17:08
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コメントを読んで、今日は言葉について、考えてながら、過ごしていました。
意味のない言葉は一つもなくて、きっと言葉を上手に使う為には、相手が持つ、その言葉の意味を理解することだと思いました。 誰に、どこで、どのように使われたときに、相手にとってその言葉が一番心地よいのかを考えて話せたら素敵ですね☆ それが解らないならば、黙っていればよいはずなのですが、それが私は苦手でよく失敗してますよ(--;)
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algosj at 2006-11-30 19:59
「相手にとって…の言葉」を意識できるとは、ほんとに素敵なことだと思います。
「雄弁は銀、沈黙は金」と言いますが、(カーライルの真意はおくとして)私の考えでは、”言うべきことを知っているのは賢者だが、言わずに済むことをわきまえているのは聖者であろう”ということです。 だから「沈黙は金」なのではないでしょうか…。
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