8/19に書いた「子供は大人の父」というフレーズ、
ワーズワースでしたね。
一見、謎めいた言葉のようですが、
何のことはない。
'father'という語は「先行するもの、
原型」という意味があって、
"The child is father of(to) the man."
というこのフレーズは、
「三つ子の魂、百まで」に相当する諺として
人口に膾炙しているのだそうです。
子供の時に人間の原型が出来てしまうわけですね。
ともかく、どんな大人も昔は子供だったのだし、
そのときの心が体内に潜んでいる筈。
大人は子供が育ったもの、
ならば大人の原型は子供なのでしょう。
原型を見失わずに感じ続けることは、
案外、詩人の技法が要るものかも知れません。
詩の全体はこんな風です。
勝手な訳を付けてみました。
My heart leaps up when I behold
A rainbow in the sky :
So was it when my life began ;
So is it now I am a man ;
So be it when I shall grow old,
Or let me die!
The Child is father of the Man ;
I could wish my days to be
Bound each to each by natural piety.
(William Wordsworth "My Heart Leaps Up"1807)
空の虹を見るときに私の心は躍動する
生まれたときもそうだった
大人の今も同じこと
老いたるのちもそうありたい
さもなくば死するがまし!
子供というのは人間の祖形(ひながた)
できたらどうか私の人生が
内側からの敬虔な心で日々
結び留められますように。
natural という単語は「虹」という「外側の自然」を指すというよりは、「内側から湧き起こる自然」の作用を言うのではないかと考えました。
それを指してワーズワースは「The Child」と言っているのかもしれない…、
そのような原型が内側になければ、外側の自然に対して敬虔なる魂が呼応し心躍ることもありえないでしょう。
「自然派詩人」の「自然」とは結構すごいことなのでした。