TVをつけたら、"We must change to remain the same"という、映画『山猫』の台詞が画面に。どうも、話題の新党首の就任の弁らしい。
「同じ本質を維持するために我々は自己変革を続けなければならない」ということなのだろうけども、その意味だけならむしろ、「鏡の国のアリス」の中の台詞の方が視覚的にも判りやすいですね。
女王に手を引っ張られて飛ぶように走っているアリス。
でも周りの風景がほとんど動いてない。
アリス「こんなに走っているのに、どうして風景が変わらないの?」
女王「この国では自分の位置に留まるためにも全力で走らねばならないのじゃ。
ましてどこかに到達しようと思えば、なおさら早く走らねば…」
アリスは大変な国へ来てしまった、と思うのでした。
さて、本来ヴィスコンティの作品群の中で見るときその台詞は、"change"というよりはむしろ"perish(die)"のように思えます。環境に合わせて「進化」し続けた哺乳類であるより、「恐るべき龍」の姿のままに絶滅していった恐竜のように。
自己の本質を変えないために自滅の道を歩む、これは東映やくざ映画か近松の心中物語のテーマ…?悲劇の内に歓喜を見る図式ですね。
K沼氏の日記(3/19)に久しぶりに眼を通したら、北欧神話パロディ版デジタルコミックの記事が興味深いですね。
「ワルキューレの騎行」のメロディーが語られる中、こちらにも悲劇的な歓喜が頭の中に蘇って来ます。
ルーカス/コッポラの協同・離反のストーリーがジャングル・スペース・冒険・活劇の舞台にかくもドロドロと展開していたことがよくわかりました。然しそれら全てを率いるパトスが、あの「ワルキューレの騎行」の壮烈なメロディーに篭められているようで、これまた興味深い。北欧の神々が黄昏時にオデン屋に集まる風景もまたよろし。ヴィスコンティの「狂王ルートヴィッヒ」も薄暮、オーディン屋にヒョイと顔を出すのでしょうかねェ…。
映画では、ノイシュヴァンシュタイン(NewSwanStone)城だったか、地下の岩窟内の池にスワンの形の船を浮かべてワーグナーを聴く場面が最高の歓喜とするならば、沼に自らの死体を浮かべる最期のシーンが悲劇の極致というわけでした…。