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映画『
萌の朱雀』をレンタルDVDで観た後、
河瀬監督自身の小説版があることを知って
早速発注、届いた本を持って喫茶店で一服。
観るべきものは見てしまっていたのだけど、
少し気になるところも実はあったのだった。
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一読後の感想は、映像作家はこれを敢えて
文章にすることはないだろう、ということ。
逆にまた、あの、深く清冽な映像が、一体
どれだけのものを削ぎに削ぎ落とした上で
成り立っていたのか、ということを知った。
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勿論、単なる映画のノベライズ版ではなく、
カットした部分、付け足した部分があって、
彼女の「小説」描き下ろし第一作という訳。
確かに多くの制作スタッフやキャストらと、
一大商業ベースの中で作品を仕上げていく
そのしんどさに比べたら、孤独な作業も又
我が道、という在り方もあって当然のこと。
然し、充分「映画」を堪能した者にとって、
この「小説版」はあらずもがなではあった。
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The value of movies:Naomi Kawase at TEDxTokyo彼女が肉声で語る映像をyoutubeで観た。
両親を知らず養父母に育てられた経緯と、
自己表現の道具としての映画との出会い。
庭の養母(オバアチャンと呼ぶ年齢)を
家の中から8ミリ映写機で撮影している。
庭先のオバアチャンを左手で撫でる仕草。
自分の左手と遠くのオバアチャンの接触。
撮影者はカメラを持ったまま庭先に出る。
目の前のオバアチャンに話しかけながら
撮影を続けつつ、左手でオバアチャンに
触れる。撮影者の手が、オバアチャンと
一緒に映っている、この映画という幸福。
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同じ時間に異なる場所での擬似的な接触。
同じ時間に同じ場所で時空共有する接触。
異なる時間に異なる場所での映画的接触。
確かに映画というのは面白いものである。
自分とは一体何処に居る何者なのだろう、
そんなヤクザなキワドイ世界に導く映画。
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「絵にも描けない美しさ」というものも
あるけれど、「文字では書けない美しさ」
というものが、此の世に確かに存在する。
言葉にしてしまったら消えていくもの達。
敢えて言葉にはしないところに蠢くもの。
映画はそんな「妖しさ」を夢想し続ける。
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芭蕉が8ミリカメラを持って旅をしたら、
果たしてどんな映像を撮ったのだろうか。
「ものの見えたる光未だ消えざるうちに」
視とめ聴きとめ、言ひ留むるわざを持つ
彼のことだ。削ぎに削ぎ落としたすえの
一体どんな映像を遺してくれたのだろう…
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河瀬関連の映像をyoutubeで眺めていたら、
「
奈良市観光PR映像‐夏‐」 という映像作品。
河瀬直美監督の手がけた素敵な仕事だった。