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仙台は杜の都と云うが町を歩くと 何度も橋を渡るので川が多い町だ… と思ったのだが、何のことはない、 広瀬川が市内を蛇行しているのだ。 むしろ「橋が多い町」なのだった。 芭蕉が三百余年前に来仙した道筋 奥州街道が仙台に入る南の入口が 長町橋だったのが、何度も流され、 市電が通る広瀬橋が明治42年架橋 (日本初の鉄筋コンクリート橋)※、 人柱伝説から橋姫供養の祠がある。 左手が上流、青葉山の方から流れて 右手が下流、仙台湾太平洋へ向かう。 東日本大震災の巨大津波で此処まで 遺体が流されて来たとか云う…合掌。 橋姫伝説の祠は左手の橋の袂にある。 左手が長町、右手方向が仙台中心地、 「青葉城」との銘酒の看板の後方に 五軒茶屋という割烹料理屋が在った。 仙台に来た人去る人が酒を酌み交し、 心境を新たに、且つ旧情を懐かしむ… 橋のほとりにはそんな旅情が湧いた。 知人のブログから写真拝借すると (手前上流に仲の瀬橋、奥に大橋)、 広瀬橋を渡る市電も姿を消した今、 地下鉄が渡河するこの掲載写真の 鉄道橋にも名前はあるのだろうか? (鉄道管理局的には固有名称ある筈) きっと無粋な管理記号的な名前が… ■ 人間が渡る橋にしか名前はないと 気がついた。市電が走っていた頃、 西公園に面した市電乗降安全地帯、 その端に立つ旅行者らしい一人の 若い女性がリュックを背負った儘 何やら低い声で歌っていた。耳を 傾ければ、浅川マキの「赤い橋」: ♪不思議な橋がこの町にある 渡った人は帰らない…♫ ◾️ 集落のハシ(端)にあったのが橋、 その向こうは異境だったのだし、 直接に手で触れるのを忌むから 箸(ハシ)で摘まむのだ。一休の 頓知話は、まあ、屁理屈だけど… 上記写真で云うと右手の青葉山を 西公園の向こうに見るポジション。 旅の感傷に耽ける若者は知らない、 その後半世紀経てば橋なんか渡る ことなく、地下鉄でそのままスイ と向こう岸に渡ってしまえるのだ。 ■ 御山へ渡ることの畏れと不可思議、 そんなものは、乱暴にも壊されて 消し去られている。だから三途の 川も、カローン翁が渡す冥界の川 その名前が「忘却」や「悲嘆」で あることも、知らないで済むのだ。 ◾️ 昔読んだ一冊の本が浮かんで来た、 藤沢周平の小説『橋ものがたり』 その短篇の数々、人が渡る橋には 一つ一つ名前があって、その橋を 渡る人々の其々に各々の顔がある。 朝夕渡るその橋で顔を合わす女は… 「思い違い」のもたらす男の選択、 人間の麗しさで締め括られる終幕。 ※ 「広瀬橋は建設当時から日本で最初の鉄筋コンクリート橋と言われてきた。しかし、鉄筋コンクリート橋としては1903年(明治36年)に琵琶湖第一疏水に架けられた第11号橋のほうが古いようである」(Wikipediaより) #
by algosj
| 2026-01-13 22:05
| 鉄路物語
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令和八(2026)年歳旦
「動作(Mouvement)」
振返った馬は見たのだ 風の思い出でさえもないそれは 二万世紀も前に別の馬が見たもの… この先 いつの日か この地球が もう二度と誰も見ることの叶わぬもの
シュペルヴィエル(Jules Supervielle 1884-1960) 『万有引力(Gravitations)』(1925)より ed.byJI 左Ricsi (タル・ベーラ『ニーチェの馬』2011) ■ シュペルヴィエルの詩”Mouvement”は、 邦訳では堀口大学訳「動作」更に加えて 中村真一郎訳「運動」などがあるようだ。 ここでは賀状のデザインのため、勝手に 全体を短く編集させてもらうことにした。 詩の全体は、シュペルヴィエルの短編集 『海に住む少女』(光文社古典新訳文庫) 2006永田千奈訳)の「訳者あとがき」に 挙げられた詩「動き」を引用させて頂く:
■ 馬の写真については、タル・ベーラの作品 から画像拝借、今回初めてキャスト一覧に 登場した馬の名前(Ricsiリチ)を知った。 ■ 『ニーチェの馬』は荷車を牽く黒馬だったが、 昔映画で観た水辺を走る白馬の群をふと想起。 『(カマルグの)白い馬』という映画だったが、 そこに行き着くエピソードも走馬灯のように 浮かんでくる。「馬」は走りゆくイメージだ。 #
by algosj
| 2026-01-01 00:01
| メッセージ
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近所の喫茶店で、こんなイベントがあるという。 「声を聴くことー私は ここにいます/いました」 常連のお客さんが主催するのでよかったら、と。 ![]() 2025「声の主体による文化・社会構築研究会」(代表 間瀬幸江) ■ チラシにこんな本が紹介されていたのでアマゾンから取り寄せて開催前に読んだ。 ちょっと関心を惹いたので、以下にメモ。 内容のまとめではなく、当方の勝手連想、 当日の様子と魅力的な多士済々の発言は まとめる義務もないし、その立場に非ず。 然るべき報告が主催者からあるだろうし… 以下の当方による勝手な思惑を優に超え、 様々な声が響き合い、共振して膨らんで、 そして、静かな満足が会場に満ち溢れた… ■上記本を開いて当方に生じた事前感想: ●テクストから聴こえる<声:意味>と 肉声の「声:生体要素、気配、揺らぎ」 ●TVを介する<声:カメラに向かって語る遠い声>に対し Rを介する「声:口許のマイクに向けて…」 ※【視覚障害を持つ方にR派が多いのは、画像が見えないだけでなく 耳許で喋ってくれている感があるから】
●人は苦悶・悲惨(戦争・災害等の罹災,愛別離苦)から逃れることができない宿命 ※ヴォルテール『カンディード、又はオプティミスム(楽観主義)』 <世界中の悲惨を遍歴後、自らの庭苑(ジャルダン)に帰還> ※【Everything happens for the best. オプティミスムは最大の戦略】
●人は互いにその苦悶を共有し悲惨を和らげ合おうとする<共感・本能> ●他者の発し醸し出す波紋のような「声」の揺らぎが、 こちらに共振を起こし新たな「声」と化す。 ●ジョージ・バークリー「誰もいない森で一本の木が倒れた時、その木は音を出したか?」 “esse est percipi (to be is to be perceived 存在することは知覚されることだ)” 従って【苦しみ倒れる者の「声」は、人間が聴き取ることによってのみ「存在」となりうるのだ】 ≪聴く耳を持つ者が一人でもその波動を聴き取ることが出来たら、その木は音を発したのだ≫
●観世音Avalokita-svara, 観自在Avalokiteśvara(Avalokita/観,-svara/声-īśvara/自在) ※【世の人々の苦しみの声を観そなわし感得し給う観音菩薩に、 我々は菩薩(修行者)として同化する道を真似ぶ(学ぶ)のだ】 ●「今なお聴かれぬまま、自身の心のなかに眠っているであろうあまたの声に思いを馳せること」 【しかし歴史の中に記録されないまま、ビジュウのように美しい声と姿を人々の記憶の中に残し、潔く去って行った幾多の魂があるのだと思う。その記憶を美しい揺らぎの中に秘めて行った「宝石」は幸せだ。たとえ一行のテクストを残さなくともその輝きの記憶を持つ人が生きている限り、彼ないし彼女は此の世にその場所を占めているのだ。】 今日は列をなす参加者が入口のドアを通る際、ドアを開けていて下さった小説家のK氏のお蔭で、改めてビジュウの潜り戸を暫く懐かしく見つめることが出来ました。彼は今日、皆さんの声がこの会場に満ちるとき、あの潜り戸を抜けてソッと私たちの足許にやって来ていたのかもしれません。 ※「ビジュウ」とは開店当時、店主に飼われていた黒猫の名。 仏語の “bijou” は英語の jewel(宝石)の意。 ■ 主催者のM女史に挨拶後、店主夫婦と言葉を交わして帰宅後のケーキを買って帰る際、言われた。「ビジュウのことを話題にして頂いて有難うございます」 入口の潜り戸を抜けて、確かに宝石の魂がお店に戻って来ていたのだ。 ![]() #
by algosj
| 2025-12-21 23:17
| 手紙・手記
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六星庵御中 この歳末の喪中連絡は 例年と異なり、近しい 人物が次々と亡くなり 些か骨身に沁みる思い。 丁度十年ほどガンガン 乗り回してた自転車を 数年放っていたところ 空気も抜けあちこちに サビや不具合が生じて 廃車を決めた。しかし 直せるようなら自分が 乗りたいと言う奇特な 人が現れた。その人の 為にと近所の知合いの 店に持って行き修繕の プランを立ててもらう。 新しいのが買えそうな 金額だが蘇るとしたら 蘇生術、安いと言える。 人間もパーツを替えて 調整し蘇るなら驚異的。 ![]() その自転車屋の常連で あり、自転車時代には よく街角でバッタリと 遇っては長々と立ち話、 同齢のO氏とは気心も 知れ三十年の付き合い、 その彼が昨年逝去した と店で突然聞いて呆然… 日が経つにつれ何故か しみじみと愁いが増す。 <荒浜海岸の漂流遺物、 鮭の遡行の到達点…> 彼から教えてもらった それらのことどもが今 彼自身のことのように 思われてならないのだ。 表現者の彼にPCを勧め、 韻文の遣り取りメール、 痛烈な批評も交わした。 自分のPC群もあれから 幾台没にして遺骸累々、 この数日大画面一体型 三台を新たに廃棄した。 データイレーザソフト 用いて此の世の名残り 世も名残、今鳴る鐘が 今生の…瞑目したかの ような画面を濡雑巾で 綺麗に拭いていた際に 嗚呼これは廃棄でなく 葬儀の所作であったか… 段ボール箱を身の丈に 合わせて棺の様に整え、 明日は野辺送り定めし 今宵は通夜オォそうだ、 ウィスキーでいざ献杯。 ![]() おっとS田くんご登場、 いずれ来る日のC高の 同期会サイト閉鎖宣言、 いつまでも続くと思う その甘え、これまさに 人生の如くではないか。 地上の麗人との約束も 終には叶はじとの覚悟、 いずれ世の雑事消えて レーテの岸辺の道行き。 久しく音信なき旧友の 嗚呼彼ももしやと案じ をりし時、同期会解散 と云ふイベントに際し 突然の霊力で立ち上り、 やはり回文師の筆力を 披露せる貴重なる舞台、 貴君の幻筆によるかの 菊地Q次郎先生の司る 「永遠の朗読劇場」も この舞台あったればと… 今月末の大団円、諸士 挙ってお焚き上げとは 如何なもんでせうかネ… 貴君、一言音頭の声を 願はくは挙げらるべし! さて、アルコールで少し筆が進み 以下のような文面を諸氏に回覧; ”南山に鼓を打てば…” という M君によるE君葬儀のスピーチ 思わずフト頭をよぎって行った。 「南山打鼓、北山舞」元は禅語) 紅顔可憐の若人四百余人 鬱勃たるパトスの三春秋 形を成す前の無定型にて ただ振り仰ぐ北辰の彼方 刃を磨き突進の有象無象 嗚呼此処まで良く永らえ 老残無惨を顧みず只管に 高貴恒麗の残軀を生きん 取り纏めの S平事務局長 表向きは褒められもせず 陰に回って苦にもされず 然しながら見る眼持つ者 よくこれだけ長きに渡り 公に尽くし私を研ぐ壮士 盛り立てつ自ら楽しみつ 斯かる友好の場を設けし S平居士を此処に寿がん お蔭で懐かしの友の死も 知ればこそ彼らの昔日を まざまざと想い出し得た カラマーゾフを棺に納め 旧友K田君は逝ったのだ とS平君は記してくれた 未完のかの作品はしかし 涙を拭う少年たちの声で 感動的に閉じられたのだ 僕達は必ず覚えていよう 逝った仲間を、永遠に! 万歳、カラマーゾフ…! 我々の同期会サイトは 刀剣と浮世絵を愛する 一人の男の手で紡がれ かくして永遠の少ォし 手前の坂道の途中にて 未完の万歳を共に叫ぶ 葛城ヶ丘の兄姉、万歳! #
by algosj
| 2025-12-15 01:34
| 同窓の日々
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ドストエフスキーとトルストイとの 年齢差は?むしろどちらが年上なの? いかにも長老風のトルストイの顔と 苦悩する壮年風のドストエフスキー、 よく見る二人の資料映像からの誤解。 検索すれば一目瞭然な手続きを怠り、 子供の頃から先入観で誤解していた。 ドスト氏の方が七歳も年上であった! (「青年啄木」と「老人光太郎」との イメージは撮られた年齢の写真の為) トルストイ夫人がドスト氏の死後に アンナ・ドストエフスカヤを訪問し 出版に関する相談をしていたことが 『回想のドストエフスキー』で判る。 ■ さて、芥川の『蜘蛛の糸』に関して、 先行関連作品のあれこれを時系列で 並べてみると興味深いことが解った。 『蜘蛛の糸』の系譜が P.ケイラスの 『カルマ』だということはほぼ確定、 然しト伯が露語訳した『カルマ』を ドスト氏は、目にしてはいないのだ。 それどころか『カルマ』が書かれる 15年以上前に「ネギ型」の似た話を グルーシェンカに語らせているのだ。 ■ さてドストエフスキーは仏教説話の 系譜によらず一体何処からこの話を 編み出したのか…、その疑問が残る。 1880ドストエフスキー(1821-1881) ”Brothers Karamazov”<一本のネギ> 1894 Paul Carus(1862-1919)“Karma. a tale with a moral” <蜘蛛の糸> 1896 “Karma: a story of early Buddhism” 1894 トルストイ(1828-1910)『KARMA』の露語訳 1898 鈴木大拙“因果の小車”(『KARMA』の邦訳) 1908 SelmaLagerlöf(1858-1940)”Christ Legends”<天使の羽> 1918 芥川龍之介(1892-1927)『蜘蛛の糸』 とばかり思っていたのだが、それ以前、仏教説話に採った と思える『カルマ』よりずっと以前に、「ネギ」型説話が 『カラマーゾフの兄弟』のエピソードとして書かれていた! 「ネギ」型説話は「蜘蛛の糸」型と別のロシア起源なのか? ラーゲルレーヴの「天使の羽」型は、彼女の想像力の力で 原話をデフォルメしてしまう傾向から当然ありうるけれど... (cf. セルマ・ラーゲレーヴ『東方奇譚』での源氏の君) *以前の記事: 一本のネギと「蜘蛛の糸」 #
by algosj
| 2025-12-01 01:45
| 文学篇
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