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クラウス・ノミという異色の歌い手を知ったのは、 既に20年ほど前になるだろうか… 県立美術館が出来て間もない頃、 ヘンリー・ムーアの彫刻のある前庭にて何やら 舞踊が行われるとの情報。 ブラリと出かけてみると、 パラパラと取り巻く観客?の真ん中に大きなトランクを抱えた若者一人。 総髪に黒いインバネスを羽織って、いかにも妖しげな風情。 しばらく待っても一向に始まる気配もなく、 彼は袖を翻して美術館の中に行っては又戻ってくる・・・。 やがて観客に向かって一言。 「お待たせして申し訳ありません。 ここでご披露することになっていたのですが、 美術館側の判断で、この場所では実施できなくなりました。 大変申し訳ありませんが場所を河原に移したいと思いますので、 差し支えない方はご一緒に移動して頂けないでしょうか…」 河原?そいつはかえって面白い・・・ と、暇な我々はゾロゾロと澱橋を渡り、 美術館裏手対岸の河原に向かった。 途中、寅さんの持つような大きいトランクを提げた彼に聞いてみた。 「何で、あそこでは駄目なんですか?」 「いやァ、美術館では『完成された作品』でないと許可できないんだそうですよ。」 「てことは、舞踏は『作品』ではない・・・と」 「そうなんです。頭古いですよねェ、美術館も。」 「ま、いいじゃないですか、かえって広々した河原で」 「そうですね、美術館より歴史のある河原で」 「追い出されたサロンの裏手で落選展?」 「印象派の発生ですね・・・」 そんなことを話すうちに一行は河原に降り立ち、トランクを開いた彼は入念な白塗り化粧。 黒マントに身を包み静々と繰り出す歩みに刻まれるのが、ヘンリー・パーセルの歌劇 『キング・アーサー』の第三幕から「What power art thou」(「Cold Song」) <*> この異色作曲家×異色歌劇×異色アリアを歌うのが、異色の歌手クラウス・ノミだとは、 終わった後に異色の舞踏家、西大條文阿弥(ぶんあみ)から教わった。 続いて歌われるのが、同じくヘンリー・パーセルの歌劇『ディドーとエネアス』最後の幕の悲歌「Remember me, but, Ah, forget my fate.」 更に、曲がバッハのカンタータに変わると、片手に持ったイタリアの仮面と実面とが無言の対話、 反発誘引の末…ついに合一する恍惚悲嘆の大団円。 終了後に彼と話して勤務校の文化祭に招待することになり、生徒らの実行委員会が正式に発足。 当日、委員諸君はスタッフとなって下働き、文阿弥座公演は盛会裏に終了した。 垂れ幕には、「肉体は哀し、嗚呼、我は全ての書を読みぬ」という、マラルメの一句がありました。 <*> "The Cold Song"(King Arthur) 「Let me freeze again to death」 http://www.youtube.com/watch?v=C_A6IR58Htg&mode=related&search= 今は亡きクラウス・ノミのクラシックな(鬼気迫る)野外ライブに続いて、 ステージの雄姿をご覧あれかし。 “Total Eclipse” http://www.youtube.com/watch?v=yuSrsGzhD9U&NR=1 『ディドーとエネアス』の、あの「Remember me」の演奏資料は見つからないので 彼のCDから定番のこちらを二曲ほど。 “Three Wishes” http://www.youtube.com/watch?v=sjOLYrFNxzw&mode=related&search= “Simple Man” http://www.youtube.com/watch?v=gFaZyHxQGYQ&mode=related&search= 今でこそ、東京で精神科医を開業している彼も、当時はまだ医学生の身分。 狭いアパートにチェンバロを置き、 傍には拾ってきた赤いランドセルと京都の置屋から貰ってきたという 沢山の着物が無造作に置いてあった。 澱橋より更に下った琵琶首の河原での公演では、 向かいの断崖にスライド投影する映像効果の中、 部屋から持参したチェンバロを弾きつつ何枚もの着物を替えて彼は踊った。 …その後、つい数年前のことになるけども、突然彼からの連絡。 さる日本舞踊の家元公演の演目に彼の名前。 さすがに往時の「文阿弥」という名ではなかったが、その「八島」の踊りには 確かに幾許かの怨霊の空気が漂っていた。 「ブンアミッ!」と声を掛けようかと思ったんだけど・・・と楽屋を訪ねて言うと、 掛けて下されば良かったのに、と笑う温顔は、恰幅よくはなったものの、 やはり往時の青年の表情であった。 現在院長を務めるクリニックの名称には、 医術を宗としつつも茶室と書院の趣が仕組まれている。 彼の劇場はステージを替えて、まだ続いているようだ。
by algosj
| 2007-06-17 22:57
| 舞台・演劇
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