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S.ポワチエの『野のユリ』(1963)についてアマゾンのレビューを読みました。 アリゾナの砂漠に教会を建てようとする5人の修道女達と 通りかかりの男が建設に関わってしまうお話… マタイ伝の「野の百合」のフレーズが背景にあるのでしょうか? 黒人で初めてのアカデミー主演男優賞というその演技が見たいものです。 教会を建てるという行為ですぐに思い出すのは、 ベルイマンの『処女の泉』(1959)ですね。 少女を横たえたその地面から水が湧き出すラストの場面 そして父親が神に呼びかけ、其処に教会を建てるという誓いの言葉。 クリスチャンでなくとも、その気持ちが共有できそうです。 知人にU海さんという僧侶がいます。 若いときにアメリカでヒッピーやっていて、 酒場のトイレの鏡に映った自分の顔が骸骨に見え・・・、 このままでは俺は駄目だ、と決意、 そうして当時お定まりの究極の地インドへ。 ニューデリーの空港でボーッとしているとロビーを横切る仏教僧侶の一行。 何となく後を着いて行ったところ、仏塔建立をするのだという話。 勢いで一緒に土方仕事。 慣れない仕事ながらも一ヶ月もやっているとそれなりのプロ。 「人の頭縫ったことがあるんです」と彼は言う。 作業中、石が落ちて来て割れた仲間の頭を、医者も病院も無縁の土地、 縫い針で縫ってやったのだとのこと。 そうして、仏塔が出来上がったときに、 彼は自然に、僧侶になってしまったのだそうだ。 ゲルニカで断食の行をした時の現地の新聞を一週間分見せてくれた。 スペイン語なのでざっとしか判らなかったが、 最初は「日本人の僧侶が来て平和の祈りの断食を始めた」というさりげない記事。 数日後、「まだやっている」という呆れた記事。 更に数日後「まだやめようとしない」という驚きの表現。 そして一週間後、「日本の僧侶U...ついに断食の行を完遂!」という賞賛の言葉。 彼の周囲には誰からともなく小石を積みあげる。 その映像が新聞のトップ写真に見えた。 その後、世界中の反戦活動の場所場所に行っては座り込んだり太鼓を打ったり。 或るときはベルリン、あるときはアメリカインディアンの居留地…、 各地に飛ぶ度にその国・文化に関する本のリストを手紙で送ってくる。 僕はお布施のつもりで、取り揃えては送って差し上げる。 S高の上にもある日本山妙法寺派に属する坊さん。 小牛田駅のホームで片肌脱ぎオレンジ色の法衣姿の彼を初めて紹介された時、 昔カトマンズで知り合った同じ姿のスリランカ僧のことを思い出した。 貴方と同じ姿の坊さんが知り合いにいますよ、と言えば、 何と言う名前ですかと聞く。 まさか名前を言っても…と思ったが応えると、 「ああ、Vジタですか」 何と知っている! 同じ場所で修行をしたことがあるそうだ。 何とも狭い話ですね。 このVジタ師、来日の際に突然職場に訪ねてきた。 急に来られても何のもてなしも出来ないので、 安直な思いつきで近くの仏舎利等に案内。 住職に挨拶したいというので一緒に入ってお茶を頂く中、 鴨居に掛かる同じくインド式仏舎利等の写真に、 Vジタさん「あれは何処の写真ですか」 住職「スリランカに行ったときの記念写真です。大統領とお会いしました。」 Vジタさん、訪問の年を訊いて曰く 「その時通訳したのが私です」 本当に世界は狭いですね。 @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ T沢> 以前、友人が言ってたことがあります。 「どんな頑張ったって人間、本当に知り合えるのは100人くらいだよ」 その100人を大事にしなきゃですね。世界は狭い。 06/03/14 05:27 S野> 世界せまいけれど宗教政治アーンドスポーツ(野球サッカーなど) 共感できる人はどれくらいなんでしょうねぇ。。 そんな中映画部の仲間と知り合えたのってすごいことなんでしょうね。。 実感無いけど。。 あ、すばらしい教師に出会えたことも←相変わらず失礼な 06/03/14 10:26 或> 本当に解り合えた、という誤解に達することが出来れば マア人生本望というべきだ、 と言ったのはオールダス・ハックスレーだったでせうか…。 そんな中で互いに〝素晴らしい出会い”があったとすれば嬉しいことですね。 06/03/14 20:49
by algosj
| 2006-03-14 01:52
| 映画
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