最新の記事
カテゴリ
全体 映画 音楽 書物 文学篇 鉄路物語 言葉・語学 絵画・美術 舞台・演劇 手紙・手記 同窓の日々 思い出シリーズ 嗚呼花粉症三十年 PC・モバイル 校内誌再録 放送・メカ メッセージ MO学校 TIBET いのち 交友 夢 自然 動物 植物 昆虫篇 震災の日 亡父追想 亡母追想 記事ランキング
以前の記事
2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 04月 2022年 03月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 11月 2021年 09月 2021年 08月 2021年 06月 2021年 05月 2021年 04月 2021年 03月 2021年 02月 2021年 01月 2020年 12月 2020年 11月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 04月 2020年 03月 2020年 02月 2020年 01月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 08月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 07月 2018年 03月 2018年 01月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 03月 2017年 01月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 03月 2016年 01月 2015年 10月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 01月 2014年 06月 2014年 03月 2014年 01月 2013年 03月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 08月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 検索
フォロー中のブログ
画像一覧
|
久しぶりに、日高く眠り足りて猶ほ起くるにもの憂き朝の、ゆったり風呂タイム。 風呂場前の書棚を物色、「・・・納屋を焼く・・・」の背表紙を抜いて湯船に。 自分で買った記憶のない村上春樹の本なんだけど、彼、チャールズ・ラムに親しんでいたのかナァ・・・などと思いつつ湯船に寝転んで読んでみると、ラムのあの「ローストポークの起源」とは全く関係ないし、何とこの文庫本、昔読んだ短編集だった。買った時も、きっとラム理由で手にしたのだろう…。 (読んだ記憶の崩壊に関しては、逸話多数だけど、引越し後の書物移動で、位置による記憶の栞が壊滅的となっている。どこの書棚のどの位置にあるかということは、脳内記憶にとって重要な地図なんですね。) そもそも当時、どの書店にも山積みされていた『ノルウェイの森』ですが、ビートルズの"Norwegian Wood"を小説化したもの?という程度にしか、読んでない僕には今も理解が進んでないのです。 然しこの小説の題名、ビートルズの曲からだとしても、ひそかに皆さんご存知でしょうけど、"...She showed me her room, isn't it good Norwegian wood..." なんですからねぇ、彼女の部屋に招かれて「素敵なノルウェイの森じゃない?」 はないでしょう。狩人二人が「ノルウェイの素敵な森だからサー♪」と歌っているわけではないんですよ。 そう、「ノルウェイ(北欧)製材の家(家具)じゃん!」というわけ。 第一、woodsでなくwoodですから… そして更に、ここが「ひそかに」という点ですが、実は、"isn't it good knowing she would"という掛詞(語呂合わせ)だ、との解釈も結構有名。ラヴィ・シャンカール師と親しみ、ヨーコ嬢と馴染んだあの、ジョン・レノン君ですから、これくらいの言葉のテクは当然でしょう。 「我を招きし女の深意、奈辺にあるか知れるは嬉し」というわけです。春樹氏もその辺は判っていての援用なのでしょうけどね。 それを確かめる関心は僕にはないのですが、せっかくノルウェーの森に近づいたのであれば、むしろ、ボルヘス(JorgeLuisBorges)の"URLIKE"(ペンギン叢書のペーパーバック "TheBook of Sand"所載ですがJerryUelsmannの表紙写真が僕は何とも好きなのです)に感じられるように、一挙に北欧神話「サガ」のSigrud(ジークフリード)とBrynhild(ブリュンヒルデ)にまで到達出来れば面白い。 そうです、二人のラストシーンに、燃え盛る船葬のシーンを持ってこれるではないですか。これぞ、まさに映画的場面! 嗚呼、やっと「納屋を焼く」ことに関するC.ラムへの誤解を迂回しつつ、北欧神話の「火」に到達。でもこの方面はここで一旦終結。 さて、迂回が過ぎましたが、この「納屋」のテーマ、「内面的不可解動機性放火」だということであれば、これはやはりSKMC制作の『蜃気楼が見えない』に通じてもいるみたい。 不審火は放火される側からすれば突然の火の手に動転するだけですが、放火する側からすれば、「用意、スタート!」の決意と緊張の開放、と、心身の内奥のシステムと何かしら脈絡があるのでしょうかネェ・・・。 ホメロスの『イリアード』(映画『トロイ』ではブラピがアキレウスを演じてましたが)のラスト、ヘクトールの火葬に際してのあの荘厳な儀式的様相はインド経由の仏教を通じて極東にまでもたらされたわけですが、人間の魂の浄化に繋がるものがあるのかもしれませんね。 因みに、ビートルズの"Norwegian Wood"の歌詞の最後はこうです。 "So I lit a fire Isn't it good Norwegian wood..." きっと素敵に燃えたことなのでせう。 村上氏の短編の「納屋」では、既に焼かれている筈だという「近くの納屋」が全く見当たらないのに、身近な女性がフッと消えてしまっている・・・という少し不気味な象徴的終結なのですが、小説『ノルウェー』にも「火付け」はあるの? 確かに同じ短編集の終わりにある「三つのドイツ幻想」では「冬の博物館」の象徴的解釈も容易。入館者を待つ冷え冷えとしたドイツの博物館とホテルの一室は共通する幻想を伴うものなのでしょうね。 接客歓待の為の「火を点ける」準備・儀式は古来共通ですから。 不審火と言えば、僕の連想は「不知火(シラヌヒ)」 小学校五年生まで居た福岡県では有明海の「不知火」が身近でした。 沖にチラツク、言わば蜃気楼的光学現象です。 子供の記憶にも「不知火(しらぬい)小学校」というシラブルが耳と眼に残っています。 昔、苫小牧行きフェリーから観た沖の不知火・不審灯の話。 夜の8時に仙台港を出航後しばらくして、明け方に日の出を窓から眺められるように進行方向右側の部屋を予約したその窓から見える彼方の明かり群に、当然最初に思ったのは沿岸の灯が右側に見えること! 苫小牧に向かうつもりで間違って名古屋行きに乗ってしまった!と慌てました。しかし双眼鏡を取り出して確認すると、何と沖の烏賊釣船の灯と判明して安堵。ホッとしつつ、その映像を肴にグラスを傾けたことでした。 映画で「火」と言えば、タルコフスキーの作品群が次々に頭をよぎりますし、その反動としての幾つかの水の場面やら、虚実のイメージで幻惑する雪のサンガルガノ大聖堂のラストの仕掛が迫って来ますが、このシーンもここで切り上げ。 ところで、村上氏の先の作品では、納屋放火青年の言う「モラリティ」の定義が興味深く思えました。 「責める自分と許す自分との同時存在」。 ならばむしろ、更に「行為する自分を足して三者の同時存在」を考えてみれば、罪の問題は言わばトリニティ(三性・三位一体)という概念に集約されてもっと判り易いものになりそうですけどね。 アダムとイヴの平面的関係も、「智慧の果実:誘惑者」の存在によって初めてZ軸が立ち上がり、而して立体的な形で「罪」の問題が人間の領域たり得るようになったのだと思えるのですが…。その三者が同時に我が身に存在することで、人は立体的に苦しむのです。 SKMC次回制作映画『フユマホ』は、人間を惹きつけてやまないどんな立体的な魅力を仕込もうとしているのでしょうか…? 映画は二次元ですから、という答えは許しませんヨ。 さて本日の長文日記、最後にもう一度、チャールズ・ラム。 その名エッセイ集『エリア随筆』には先の「ローストポークの起源」と一緒に、文通に於ける二つの現在(通信のタイムラグ)について書かれた一文があったと思います。他にも珠玉のエッセイが満載、お勧めです。 幼時、焚火に向かひ「火は何で出来ているの?」と問ひし時、「ゲンショウ」と答へし母の言葉ぞ懐かしき。 「火は現象なのだから、何から出来ているわけでもない」 薬剤師の母は子供に対して恐ろしくきちんと化学的回答をしてくれたのでした。想起するということは、体験している自分と想起している自分とが同時に存在することなのですね。 然し、つれづれなるままに日暮らしホームページに向かひて心に映る由無し事をそこはかとなく書き付くれば、まさに怪しうこそもの狂ほしけれ、ですネ…。 @@@@@@@@@@@@@@@@@@@ コメント(4) S> 不知火じゃないですけど、私が高校のときに見たオレンジ色の空飛ぶ物体の集団は、UFOだと思いますか? 06/02/20 00:29 或> その昔、あの校門前の坂を上って帰る夏の頃は既に夜空。突然、前方西の空仰角40度程のところを銀色に光る飛行物体が一直線に南に進んでます。数十秒続いたその情報(時刻と位置と)をすぐに市立天文台に公衆電話。その回答は即「人工衛星でしょう」。確かに夜空に見えた軌跡だけど、航空機航路の遥か上方はまだ太陽光線があり、その反射というわけでした。でも、その「オレンジ色の飛行物体」って…。説明不能の間はやはり「未確認…不知火」でしょうねェ。 06/02/20 09:14 S > 自転車で山のほうに向かう集団を追いかけたのですが(自転車で追いかけられるスピードだったのです)そのまま追いかけると、ほんと山道で怖いほうに想像が膨らんで(宇宙人に連れ去られて・・とか)途中で追いかけるのをやめたのです。追いかけるべきでしたか?あんなに目立ってたのでニュースでやるかな?と思ったのですが目撃した人はいませんでした。 06/02/22 00:58 或 > 追いかけるべきでしたね。例え山向こうの火事の反映だとしても。 06/02/22 05:36
by algosj
| 2006-02-19 14:41
| 文学
|
Trackback
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||