その店は花京院通りと茂一ケ坂に面する南西角にあった。
町内メインストリートの街角を占める爺さん婆さんの店、
痩せて黒光りのする爺さんの細面は、今でもはっきりと
思い浮かべる、と石田氏は遠い記憶を紡ぎ出し書き記す。
これ以上痩せるのが困難な手足や体躯はまるでミイラを
思わせる。なりは粗末であるが、子供心にも、何かしら
気品らしいものが認められた。配偶のお婆さんは滅多に
店には姿を現さない。多分、他所から依頼された縫物の
賃仕事でもしているのだろう。三坪ばかりの小さい店だ。
硝子覆いのついた平たい木箱には、子供達の涎や生唾を
催させるような種々色とりどりの駄菓子が並べてあった。
胡麻ねじり、黄粉ねじり、げんこつ、豆糖など、或いは
とつけ、即ち懸賞物が置いてある。籤(くじ)はカラカラ
煎餅と称し、二個のピラミッドの底面を貼合わせた様な
形の、中に小さい鉛の兵隊や洋装の淑女、馬や力士など
賞品が入っており、取出した殻は食べられるのであった。
又、小さな紙を剥がすと中に数字が書いてある籤を引き、
それを示すと、賞品はハマグリの貝殻の内側に黒砂糖を
詰めて赤い紙で閉じた、ずっしりと重いものまであった。
鼻を垂らした手にひびだらけの悪童達は、欲しい賞品を
争っては、なけなしの小銅貨を失って後悔するのだった。
<続く>
(石田徳彦『花京院周辺』一「一文駄菓子屋」より)