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◆ 高校二年生になって新しい科目に出会った。 「倫理社会」の「倫」という字が真新しい。 「りんり、人の踏み行うべき道」とのこと。 何だ、昔の「修身」みたいな授業なのかな、 などという先入観を越えて、パラパラ開く 教科書は、古代ギリシャ、古代中国、西洋 哲学の中世から現代に至る思想百科事典の 趣きを呈し、何だかワクワクさせるものが あった。担当の先生は、矢部基晴と仰るが、 科目の持つ重厚な印象に相応しい年配の方。 その穏やかながらも説得力あるお話に私は 引き込まれた。毎時間の授業が実に楽しく、 他の科目が不勉強であるだけに、これこそ 学ぶべき授業なのだとまで思い込むに至り、 眠気催す五時間目であっても、矢部先生の 授業には腕をつねりながら聞き入っていた。 旧約聖書の預言者の話など、多少夢心地で 聴きながらも、そうか、だから矢部先生は 「ヤーヴェ」なんだな、と夢想していた。 ◆ 中学の図書館では、小説を借りている文学 少女らを横目で見ては、読むべき本は理科 の本であって人間の問題は自ら生きるべし などと頓珍漢であった自分が、高校一年の ある時期、図書館からカントの『純粋理性 批判』を借り出していた。徹夜して辞書を 引きつつ読んではみても珍文漢文だったが、 何かのスイッチは既に入っていたのだろう、 矢部先生の授業が染み込むように胸に入り、 そうだ自分は哲学を勉強しよう、と思った。 矢部先生の板書されたプリズムの絵解きが 頭にあったのだ。大きい三角形を描いた後、 そこに斜め上から射し込む光線と反対側に 出る七色の筋を描いて曰く「この別れた筋、 これが様々な学問です。そして、こちらの 大元の光、これが哲学なのです。…云々」 ◆ 昼休みに弁当を食べるのもそこそこにして、 図書館の書棚の間を歩き回っていた。古い 書籍の匂いが書庫に立ち込め、手にとって 開くと死者の息吹が湧き起こってくる様に 感じた。薄暗い書庫を出て、開架の書棚を 振り仰ぐと、河出書房の世界の大思想全集 がズラリと並んでおり、深い青地に黒と金 との横線のその背表紙を眺め回していたが、 あれは一種の恍惚感だったのかもしれない。 ◆ そんな二年生の時期の三者面談で、将来は 何をしたいのだと訊かれ、「哲学です」と 呟くと、担任の英語の先生、一言のもとに 曰く「それじゃあ君、食っていけないぞ」 そうか、食っていけないのか…と何となく 思っただけの、あまり深刻さがない脳天気。 受験勉強に邁進するどころか、書店に行き、 岩波の哲学講座を片端から開いては分野と 執筆者氏名と所属大学とを書き写していた。 ◆ 中学時代から実は地球物理学を勉強したく、 二年末の文系理系クラス分けの希望届けに 一旦は理系と記したものの、提出後に変更 申し入れ、学年主任の先生の所にまで行き、 ようやく文系に変更。「食えない道」決定。 三年生になって、社会科研究室の戸を叩き、 矢部先生に質問に行った。実は哲学を勉強 したいと思うのですが、この一年間どんな 本を読んでいけばよいのかお教えください。 先生は、あの穏やかな表情でこちらの覚悟 の程を窺うような一瞬の後、おっしゃった。 「ではリストを作ってあげるから、自宅へ 来週おいでなさい」 電話番号と地図を記した紙を頂いて帰る際、 先生の背後の書棚にギッシリと、魅力的な 書物群があるのが眼に焼き付いた。胸には、 何だ、あんな本を読める環境で食べていく 道があるじゃないか、との思い。然しこの とき教員を目指そうなどとは思わなかった。 ◆ さて矢部先生宅訪問の日、先生に家庭訪問 される経験はあっても先生宅を尋ねるのは 生まれて初めてのこと。途中から赤電話で これから伺いますと電話しようと十円玉を 何度入れてもチャリンと戻ってくる。まず 受話器を取ってから、お金を入れるのよと、 お店のおばさんが教えてくれた。外で電話 をするという経験も初めてのことだった。 さて学校の裏手を廻った葛城のお宅に到着。 以後、学生時代も恩師宅を尋ねる際に思う のだったが、まことに笑止、先生留守だと いいのにな・・・。 しかし電話しての訪問、玄関で挨拶ののち、 応接間に正座で畏まり、しばしお話の後で 一片のメモを頂いた。後にして振り返ると、 それら十冊余りの書名は、全て岩波新書の 本だった。高校生に求め易いものを選んで 下さったのだ。まともに岩波新書を読んだ 最初の体験でもあったことを有難く思う。 玄関まで見送って下さって、先生は仰った。 「読んだ後で感想など聞かせてください」 私は紙片を学生服の内ポケットにしまうと、 一礼して辞去した。 ◆ 帰路早速、赤電話を借りた書店でリストの 中から何冊かを入手。必ずしも「哲学」の 入門書というわけでもなく、あのプリズム によって分れた光のような諸科学諸部門に 渡る十冊であった。取り敢えず高島善哉の 『社会科学入門』を読み始めたのだったが、 頓珍漢とは言え、一応の受験生。リストの 二三冊しか読めなかった自分を恥じるまま、 「感想」を申し上げに先生を再訪すること もなく、まして自分の進路がその後どうで あったかというご報告もせぬままに数十年。 まことに不義理のままではあるが、やはり 先生が玄関で見送って下さったときに胸の ポケットにしまったのは、読むべき書物の リスト片だけではなかったのだと、今思う。 ◆ 「君たちは、幾らでも本が読めて幸せです。 私が若い時は工場へ岩波文庫を持って行く のですが、頁を破り取ってポケットに入れ、 トイレに立った時や休憩時とかに少しずつ 読んだものです。」と先生は言われた。 「一日一冊岩波新書」といった読書意欲も 先生から受けた刺激に違いないし、その後、 美学か心理学か印度学か雪のキャンパスを 迷いつつ進路決心をしたのも、又結果的に、 読みたい本を背にしてともかくも「食って 来られた」人生経路の発端は、矢部先生の 授業であったのだろうと思われる。 今、矢部先生の御本を遅れ馳せながら手に することが出来て、あの葛城のお宅を再訪 したかのような心持ちがするのだ。 街で本を探した後のいつもの蕎麦屋に入り、 先生と共に盃を交わしてみたい気になった。 1914年千葉に生まれる。 1931年安田工業学校電気科卒。 1937年文部省中等教員検定試験修身科に合格。 1945年の敗戦を中島飛行機製作所三島工場主任として迎える。 1955年千葉県立千葉高等学校に勤務、 1971年学園闘争を契機に自主的に退職。 思想の科学研究会会員 思想の科学研究会会長 雑誌『思想の科学』編集長を歴任 方向感覚同人 (『甦る旧約聖書 イスラエル預言者の宗教を探る』の著者紹介より) 追記 卒業アルバムを開き、教員集合写真や社研顧問としてのお顔を拝見する。 思い返せば、一年時に音楽部(合唱)、二年時にワンダーフォーゲル部、 そして三年時に矢部先生顧問の社研に入ったのだった。 社研の合宿で行った海は、何処だったのだろう。 合宿での日々も判然としないが、先生の指示は覚えている。 「何を研究してもいいんだけどね、君らは文章力が未熟だ。 読書会でもして、読解力と自分の考えを伝える技術を磨きなさい」 風の通る部屋で先生は、終日何か書きものをなさっていた。 いつの間にか皆がいないのに気づいて、先生に訊いた。 「先生、みんな何処へ行ったんでしょう?」 「おや、気付かなかった。海かねえ、行ってみようか」 先生と二人して海岸に出た。 皆の泳ぎ遊ぶのを、並んで黙って見つめていた。
by algosj
| 2015-08-27 23:21
| 同窓の日々
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Comments(7)
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中島 誠
at 2017-08-28 23:23
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はじめまして。
私の母の親友は矢部先生の娘さんでした。 その縁で先生からマルティン・ブーバーの「我と汝・対話」をいただいた経験があります。 追分の別荘にも一度泊めていただきました。 懐かしい名前を発見して、ついついお邪魔しました。
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algosj at 2018-01-31 23:36
中島様
せっかく貴重なコメント頂戴しておきながら、 全く気付かず大変申し訳ございませんでした。 もしも宜しければ、非公開でアドレスを頂戴 出来ますでしょうか?恩師矢部先生の御消息 その他お聴きしたいことがございます。 返す返すも大変なご無礼、お許し下さいませ。
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at 2018-09-10 17:42
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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at 2018-09-22 18:34
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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at 2018-09-25 13:26
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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at 2018-09-25 17:03
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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at 2018-09-25 18:31
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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