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「解体される為に最後の停泊地に曳航される戦艦」
が何故あんなに美しいのだろう。沈みゆく太陽は
どうしてあのようにも麗しく空と海を染めるのか。
死者を葬る舟に火を放つシーンは、神話か小説か、
はたまた映画であったか、既に判然とはしないが、
燃え盛る船を描いた絵は確かターナーにあった筈…*
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学友E君は新潟長岡の出身ながら、学生時代から
会社時代を経る中、東北・北海道・関東と巡って、
終に我が高校時代の乗車駅から程なき墓所に眠る
こととなった。仔細は同じく学友のK君が丁寧に
知らせてくれたので、Y君宅と同じく新盆の墓参、
思わず、旧友二人への初の焼香となったのである。
自らの死期を見つめつつ、あらゆる治療にも専念
しては、猛然たる意気を奮って仕事完遂の上での
退職。当地を引き上げるに当たって学生仲間との
一時の送別会に、E君はどんな思いだったろうか。
マラソンランナーがゴール直後に崩折れるように、
自分に課せられた走路を完璧に終え、彼は逝った。
親友のK君は何度も病室を訪れ、鷗外森林太郎に
とっての知己である賀古鶴所(かこ つるど)の役を
果たしてくれたのだった。特に葬儀関連での連絡
名簿の作成や会社同僚友人関係のお別れ会の設定・
指示等には、遺族の方への深い配慮が感じられた。
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学生鞄を手に毎日利用していた駅から猛暑の中を
歩いてみたいと思った。彼の深い病苦と愛別離苦
に想いを致すと、耳を圧する蟬の聲が胸に沁みた。
葬儀会館の三階に設えられた一区画にE君の墓所
はあった。氏名の彫られた四角い石の前に線香と
花を捧げた後、治療のため久しく控えていた筈の
酒と煙草を供えた。途中読んで来た文庫本も添え、
RESERVE & WATER, and LONG PEACE...たれ!
・新盆の紫煙たゆたう墓石かな
・いずれ逝くリザーヴされし盂蘭盆会
上記作品は偶然「水」と「火」と「ピース」で繋がったのだが、船が燃えているように思っていたのだけど、拡大してみても遺体を水面に降ろしているだけで船が燃えているわけではない。解説によれば、ターナーの友であり同僚の画家であったDavid Wilkieの「水葬」であると言う。
同じ構図のこちらの版画作品には「ウィルキーの水葬」と明記されている。水面に降ろす遺体を船べりの数本の松明が照らしている。1841年ジブラルタル沖とある。
『Peace-Burial of Wilkie』 engraved by J.Cousen published 1859-61
船自体が「燃えている(らしい)」のはこちら。
『Ship on Fire』c.1834