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出身はどちら?と聞かれて昔から戸惑ってしまう。
出生地は筑紫の国、山門郡瀬高町草葉(地名変更で
現在はみやま市瀬高町大草と云う由)の母の実家。
育った所は福岡県O市。父の転勤で小学校五年時、
東京の西荻窪M第三小に転校、中高を千葉で終了。
以後、東北のS市にて学生生活、結婚就職、更には
余生を送っていることになる。
さて「出身」とは生地か生育地か、卒業高の地か?
そう聞かれた途端、頭の中にシューベルトの曲が
流れ始める。"Ave Maria" その最後の小節の辺りに *
"O, Mutter..." そう、このO市こそ我が出身地かも
知れない。小学校五年の夏までにほぼ感性と人格の
基礎は出来ているのだ、「母なる地O市」に於いて。
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母方の実家草葉と異なり、O市は三池炭鉱を背景に
石炭化学工業で栄えた街であった。父が三井関連の
会社に勤め、母が薬剤師を務める薬局の前の道路は
産業道路と呼ばれ、満載のトラックが轟々と粉塵を
上げて通っていた。その道路を隔てた商店街の奥は
三井製錬工場が控えており、沢山の煙突からは黒煙
濛々たる様相で、それがむしろ、街の繁栄の象徴の
ようでもあった。
S川小の校長室前の廊下には、焚火をしていて黒い
石が燃え始め、ビックリ腰を抜かしているお爺さん
の絵が掛けられており、これが石炭の発見だという
授業でのお話なのであった。
この石炭産業によるO市の「繁栄」が、あの悲劇を
招くことにもなるのだった。
1945(昭和20)年6月18日の大空襲のことは他日に。
我が家に関係する歴史としてその日は刻まれている。
(続く)
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AVEMARIA(Franz Peter Schubert)
Ave Maria! Jungfrau mild,
Erhöre einer Jungfrau Flehen,
Aus diesem Felsen starr und wild
Soll mein Gebet zu dir hinwehen.
Wir schlafen sicher bis zum Morgen,
Ob Menschen noch so grausam sind.
O Jungfrau, sieh der Jungfrau Sorgen,
O Mutter, hör ein bittend Kind!
Ave Maria!
アヴェマリア!慈悲深き乙女よ、
おお 聞き給へ、 乙女の祈り、
荒める者にも御身は耳を傾け
絶望の底からも救ひ給ふ。
御身の慈悲の下で安らかに眠らん、
世に見捨てられ罵られやうとも。
おお 聞き給へ、 乙女の祈り、
おお 母よ、聞き給へ 懇願する子らを!
アヴェマリア!