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92歳の淑女の葬儀の翌日が、 20歳になった乙女の誕生日、 ご家族交えてお祝いをした。 ■ その昔、ポプラ並木の続く 長い道を歩いていたときに、 ランドセル背負った女児と 杖を突いたおばあさんとが 互いにすれ違う場面を見た。 まるで命が交替するような、 不思議な映画的映像だった。 ■ 1970年前後の政治状況の中、 リアルタイムに若者に読まれ 共感を呼んだ二冊の遺稿集が ある。一冊は横市大の奥浩平 (1943-1965)『青春の墓標』、 そしてもう一冊が立命館大の 高野悦子(1949-1969)の遺稿 『二十歳の原点』共に彼らの 残した日記が編纂されたもの。 故に、ここで内容紹介をする ようなものではなく、時代と 差し違えた魂に敬礼するのみ、 堆積本を掘返すつもりもない。 写真はネット上から拝借した。 検索して後者のコミック版も あることを思い出した。こう なると、一人の人生が何だか 菓子箱の中の採集標本の様だ。 ■ 独りであること 未熟であること これがわたしの 二十歳の原点だ と云うその原点からはX軸と Y軸とで示さる無数の航路が あったはずなのだろうけど、 彼らはついにZ軸を昇った。 ■ 奥浩平の本の中で覚えてる 一節がある。ベルトランか ロートレアモンであったか... 確かこんな詩だったと思う。 シッ、静かに! 君の横を 今しひとつの 幽霊過ぎ行きぬ ■ 若くしてZ軸を独り昇った その垂直の航路には、然し 長年連れ添った相方からの 愛(いと)しく愛(かな)しい メッセージは聴こえない… #
by algosj
| 2024-03-16 23:51
| いのち
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OR子先生が突然逝ってしまわれるとは、 今年の弥生三月は残酷な月となりました。
R子先生は職場のマドンナでありました。 往年の原節子か河内桃子かという風貌は、 私たち後輩同僚からも憧れの対象でした。
錯綜する問題にも悠揚迫らぬ対応をされ、 困難な役職も避けず引受けて下さるその 物腰は、まるで菩薩の如くでありました。 ソフトで少し早口な弁論は何時の間にか 会議室をソフトに束ねてしまうのでした。
職場の宴会の二次会は稲荷小路のカフェ、 その壁にはイワン・クラムスコイの描く 馬車に乗る貴婦人像が掛かっていました。 その「見知らぬ人(もしくは忘れ得ぬ人)」 の絵もカフェも、集った幾多の先輩方も、 今や記憶の中にしか存在しないのですが、 R子先生と共についに「忘れ得ぬ人」と なって永遠に不動の額縁に収まりました。
教育現場の奇跡劇を示された大谷先生の 葬儀で弔辞を読まれたN方先生の葬儀に、 始動期からの流れをご存知のR子先生が、 弔辞をお読みになり、彼ら大正の男達の 時代を見事に納められたのでした。然し そのR子先生をお送りする私達の世代は、 一体何処に指針を持てばよいのでしょう。
七十路で亡くなられた大谷先生の年齢に 達すればどんな境地だろうと嘗て思った こともありますが、既にその歳に至る今、 今度はR子先生の御歳に近付くのが目標、 と思うことにしたいと今考えております。
ご主人のA先生は薔薇の栽培研究家です。 R子先生の御名前の品種が今後出るのか 判りませんが、嘗て我々後輩連中は陰で オガワ・ローザとかフラウ・バッハなど お呼びしていたのも敬愛の証であります。
羽衣で空を翔ける天女の舞も、おそらく しっかりと強固な舞台があればこそ、と A先生のバックヤードを称賛したことが あります。A先生、天女もとより地上の 人に非ざりし、との古来の伝承に倣えば、 季節毎の風に光に、或いはまた、お庭に 萌え出ずる薔薇の花に、我等がローザは 必ずや遍在なさるべしと信じております。 A先生、日々再臨されるその舞台として、 どうぞ呉々も御身大切にお過ごし下さい。 ■ 以上のようなことを御霊前で申し上げた。 A先生は喪主御礼の最後、遺影に向かい 一礼されたあと、こう仰ったのであった: 「…R子、こんな私に60年もの間、よく 連添ってくれたことを改めて感謝します。 私もすぐに行くから、待っていておくれ」 /-c(minus colour) #
by algosj
| 2024-03-15 00:39
| 交友
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昨年11/3 公開の山崎貴監督『ゴジラ-1.0』が 「アカデミー視覚効果(VFX)賞」を受賞した由。 監督・脚本に加えこの部門を自ら担当したのは、 S.キューブリック監督『2001年宇宙の旅』に 続いて二人目、実に59年振りのことだと云う。 公開直後の感想サイトを聴きつつ翌日の席を ネット予約した。百田の語りはそれ程的確だ。 『永遠のゼロ』の続編ではと言う話にも納得。※ ■ 庵野秀明監督『シン・ゴジラ』(2016)の際は、 7月29日公開後、台風が東京湾に上陸する日に 合わせて予約席に向かった。臨場感があった。 幼時に1954年の初代『ゴジラ』の洗礼を受け、 翌1955年の『ゴジラの逆襲』の感銘を刻んだ 立場からすれば、以後の東宝のゴジラ路線は、 あまりに娯楽趣味と思え、関心薄れ、離れた。 そのゴジラ離れの長い時期から覚醒したのは、 確かに「庵野ゴジラ」であったのだが、今回 「山崎ゴジラ」には静かな感動が伴っていた。 「ゴジラ」については、ここでは語りきれない。 宝田明、平田昭彦、志村喬、河内桃子も、既に 此の世にいない今、ゴジラだけが不朽の役者の ように復活再生産され続ける、あの咆哮と共に。 ■ 可憐な存在感を示した河内桃子は1932年生まれ。 昨夜遅く、長年ご厚誼を頂いてた元同僚O先生の ご主人から訃報が知らされた。同じく昭和七年の お生まれであった。改めて河内嬢の往時の写真を 眺めると、両者とも昭和一桁の同系佳人であった。 ※『永遠のゼロ』など百田原作を既に映画化した山崎貴監督に、 唯一の時代劇作品『影法師』の映画化も百田は期待している由。 己の生死を捧げ、互いの人生の背後に影法師のように従いつつ、 己を支え導く影の如きもの…そういう相手に出逢えれば幸せだ。 ”My War isn't over yet (私の戦いはまだ終わっちゃいない). ” 終えてない闘いを抱えている人達へのカタルシス映画なのかも。 #
by algosj
| 2024-03-13 02:11
| 映画
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東日本大震災から今日で、丸十三年が経った。 人間であるならば十三回忌と云うことになる。 パトリシア・ハイスミスの作品について前に 述べた時、些細な日常の中に生ずる不安恐怖、 たとえ柔弱な物であっても無数に増殖したり 巨大に変貌すると、突然恐ろしいものとなる、 そんなことを確認した。瞬時にして二万人の 人の生命が悲惨な形で失われたりすることは、 おそろしい。押しとどめようもない力で迫る あの津波の迫力、押し流される車、人、家屋… 殆ど被害が無かった筈の遠隔地を訪れた人が、 店の電気が消えているのを見てどうしたのか 尋ねると、あの地震津波で亡くなった人達の 喪に服しているのだと答えたという。確かに 個人の死を包む巨大な悲劇が国を覆っていた。 一斉に灯火の消えた当夜、満天の星が瞬いた。 そら恐ろしいほどのひしめく星々は綺麗とか 神秘とか既成表現を超えた迫力を示していた。 ◾️ 昨日三月十日は未明の東京都下十万人の命を 焼尽くした、これも日本の忌日の一つである。 全国の主要都市を次々に焼夷弾✳︎で焼き尽し、 次いで、広島長崎を原子の火で焼き滅ぼした。 世界の民族の弔い方には土葬、水葬、火葬と、 更にまたチベットには鳥葬という方法がある。 骨を砕いて呼び寄せた鳥達によって空へ魂を 運んでもらうという来世観があるように思う。 今日は、星と消えた幾多の魂に向けて、合掌。 ✳︎ 焼夷弾は、主に木と紙とで出来た日本家屋を 焼き滅ぼすために特注考案された、これも又 「新型爆弾」(いや爆発はせず焼き払うのみ) だろう。英語”incendiary (bomb)”の語源は diary日記ではなく candlere(to glow,輝く) カンテラと同じ語源。投下後の上空からは 地上に輝くカンテラに見えたとでも云うか? しかしこれを「焼夷弾」と訳したのは一体 誰だろう?夷狄の夷とは東方の野蛮人の意、 これでは、全く「夷を焼く弾」ではないか! とても日本人自ら訳した訳語とも思えない。 #
by algosj
| 2024-03-11 14:47
| 震災の日
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「世紀の二枚目」と言えばアラン・ドロン、 そんな時代があった。若い叔母が買い来る 映画雑誌の表紙を飾っていたりしたものだ。 中学生の自分は、Alain Delonと云う綴りと そのニヤッとした笑顔が繋がってしまった。 おかげで高校の古典の時間、文法の規則で 「ニヤ」と来れば「アラン」と即答できた。 ただ彼の主演の映画『太陽がいっぱい』は、 ニヤけた感じも消え、実にかっこよかった。 金持ちの友人に成り切るためのサイン練習、 そして緊迫のラストシーンには畏れ入った。 しかし映画の原作があることを最近知って、 読んでみると映画版と原作とは大きな違い。 ■ パトリシア・ハイスミスという作家がそれ。 身辺から生じる奇妙な不安と恐怖への筋道… そんな作品を最近チラホラ読み進めている。 と云うのも、ヴィム・ヴェンダースの新作 『Perfect Days』を観たところ、主人公の 書棚に彼女の短編集が一冊あったのだった。 (『11の物語 』ハヤカワ・ミステリ文庫)※ ■ さて『Perfect Days』だが、サラリと抜粋: 都の委託職員として、公共トイレの清掃を 日々淡々と誠実且つ意欲的にこなす主人公、 早朝に目覚め布団を畳み、洗顔歯磨き且つ 卓上で育てる何鉢ものミニ植物に水をやる、 朝食代りの自販機珈琲を除けば実に修行僧。 仕事用具満載の車で出勤、掛けるテープの 流れる曲は”A HOUSE OF RISING SUN” (イントロでThe Animalsの演奏と判る) 昼食はコンビニサンドと缶コーヒー一本、 公園のベンチに差す木漏れ日を見上げて、 構える簡易フィルムカメラ、彼の収集は、 その木漏れ日写真と木々のひこばえ移植。 ■ 公園内の視界に舞込むのは田中泯の踊り、 これが木と風と日差しに共鳴する旋律だ。 訳ありの姪と実妹、行き付けの飲み屋の 女将と元夫、彼と夜更けの影踏みの遊び… ■ 一日の行を終えて、夕陽に向かって車を 運転する主人公の顔を長回しのカメラが じっと見詰めるとき、彼の旅が熟成する。 ※ 映画を観終わって、ヴェンダースの旧作を 振り返りつつ、パトリシア・ハイスミスの 作品を検索。文庫本だから簡単に入手可能、 と思ったところ、これが難儀だった。定価 数百円の本が払底、古書店初めネット書店、 中古ネットショップでは数万円もする高値! 図書館検索しても10人程の予約待ちだとは… ただ電子本のKindleでは¥696で入手できた。 「かたつむり」ものが二篇収録されていて、 これは凄い、数が多いことと巨大である事、 それだけで恐怖映画が出来上がってしまう。 数多い彼女の映画化作品として、夢想する。 『Terrapin(鼈/すっぽん)』これは単体の 普通サイズなのだが少年と母の心理恐怖劇… #
by algosj
| 2024-03-10 18:51
| 映画
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