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![]() (縦長の原画の上下を賀状用にカットしました) 鎌倉末から南北朝にかけての禅僧画家、黙庵。 元に渡って彼の地で水墨画家として活躍、帰国を前にして客死。 左右に寒山拾得を従えた豊干が虎と眠る「四睡図」は 同題の他の作品に比しても秀逸。 こんな風に安らぐ境地は、俗世に生きる者には羨ましい。 これも修行の賜物だとすれば諦めるより他ないのだけど・・・ 蜀山人だったか誰だったか 「楽しみは 後ろに柱 前に酒 (「柱」とは主賓席を示す床柱) 左右に女 懐に金」 という狂歌があるけれど それに倣えば・・・ 後ろに竹林 前に酒 左右に寒山拾得 肘掛に虎 ・・・と、これでは「四酔図」。 禅の佳境に盃を配してしまうのは (ついでに原画は竹林でもありません) 正月の酔いに免じて頂きまして 本年もよろしくお願い致します。 *豊干(ぶかん)、寒山拾得(かんざん・じっとく) 鴎外の『寒山拾得』に、彼らの様子が窺えます。 確か、虎も出てきたかと・・・。
今宵満月 東天にくっきりと浮かんだ銀盤を 退勤の道すがら 横断歩道で暫く見上げていた。 あっという間に師走も二日 銀杏並木が根元に葉を落とすころ いつの間にか 憂国忌もとっくに過ぎていた。 街中の歩道を掃除するベッポーおじさんも 毎月職場に届く教会の点字読本の表紙にも 曰く 「取敢えずの目標は眼前の数歩先でよい」 なるほど そうかもしれないが 次々に現れる波は遥か遠くからやってくる その彼方まで見通してみたい気もする ただそれは メールシュトレームの大渦巻きを覗くようなもので 本来 人の感性の許すところではないのかもしれない ところで 先日来眼を通した中で 飛行機乗りの作品が 三つ重なった ・『ゼロファイター 大空を翔ける男』(茶木寿男 長崎出版) ・『OVER TO YOU(飛行士たちの話)』(ロアルド・ダール ハヤカワ文庫) ・『TWELVE O'CLOCK HIGH(頭上の敵機)』(ヘンリー・キング監督)<*> (H.E.Batesの短編集を先日から書棚に探しているのだけど 求める一冊が出てこない。彼も又、飛行機乗りだった) 前方数歩先だけ見ていればよい地上と違って 四方八方彼方まで見通して対処しなければ撃墜されてしまう その緊張感を想像するだに眩暈がする 天空を渡る月も そうなのだろうか ジョルジュ・メリエスの『月世界旅行』のように 激しく弾丸は撃ち込まれないとしても 宇宙空間の無言の飛遊は さぞかし 身を切る眩暈であろうと思う 空を飛ぶ虫一匹にも もしかして その眩暈があるのかと思うと 大したものだと思う あ そう言えば 三島忌にいつも飛ぶ 雪虫も 先日一匹見たのだった <*> 「頭上の敵機とマキシマム」 膝の上にその包みを抱えたストーヴァルは、アーチベリーの駅名を見上げた。一九四九年倫敦、骨董屋のウィンドウ片隅に見出した連隊生活思い出の壺を抱いて、彼は列車を降りた。かつて飛行場だった郊外のその場所に立ち尽くして思いに耽るうち、生い茂る草が突然強い風に吹き倒れる。カメラがゆっくりと上空にパンすると、爆撃機の編隊が次々と飛行場に降りてくる。 ヘンリー・キングの名画『頭上の敵機』は、組織のリーダー像を描いて秀逸。リーダーの在り方によって如何に一つの集団がその技量を発揮しうるか。ただ、グレゴリー・ペック演ずる鬼の准将サヴェージに生じた突然の異変は、"Maximum Effort"がもたらす悲劇と個人の危機管理・心的ケアの問題をも暗示していた。「極限の努力」を集団と自らに課し続けたことによる神経の破綻、椅子に貼り付いたまま硬直した彼の“He's up there with the mission(精神は出撃している).”という様相は痛ましい。 助演男優賞の副官ストーヴァルを演じたディーン・ジャガーの抑えた演技も又秀逸。物語の枠としての彼の存在が丁度絵画の額縁の如く映画を縁取り、深い余韻を醸していた。
流行アニメの作者である人気漫画家が 崖から転落死したとのニュース。 遺品のカメラの最後の画像が 絶壁から下を見下ろす映像であった由。 情況から事故死との報道だが 絶頂を極める仕事というものは あるいは、常に絶壁を見下ろす作業なのかも。 いささか文脈を異にするのだけども イギリスの文人チャールズ・ラムの『エリア随筆』の 中の一節が頭に浮かんだ。 "The depth of the descent illustrates the height he falls from." (A Complaint of the Decay of Beggars in the Metropolis) 「彼の零落の深さはその落ちてきたところの高さを物語る。」 『都市に於ける乞食の衰亡に対する嘆き』 より 更に脈絡なく 桂枝雀の落語が聴きたくなった。 毎年、夏の一番暑い盛りに彼の落語全集を聴くという恒例行事を 今年はすっぽかしてしまった。 『茶漬け閻魔』『地獄八景亡者戯』などが懐かしい。 前者は釈迦とキリストが地獄で演ずるドタバタ あ、そうだ、中村光の『聖☆おにいさん』 第四巻はまだだろうか・・・・ 人の死から脈絡なく続く これが人の世の脈絡・・・ 臼井儀人氏のご冥福をお祈り致します
「・・・ポーランドマリー…が死んだんだって・・・」 そんな声が聞こえてきた。 何でも70年代フォークの歌い手だったらしい。 ポーランドのマリー・・・ ハテ、どんな歌手だったのだろう・・・。 浅川マキ、ブラディー・マリー、上海帰りのリル… 頭の中の検索システムがガタピシと動くのだけど 皆目判らない。 ややあって、 「マリー・トラヴァース・・・」の声 あ、「ピーター・ポール、アンド マリー」のマリーか! TVで彼らの歌を聴いていたのは中高生の頃だったか。 Peter・Paul,and Maryというそのグループ名に、 「ペテロ・パウロ&マリア」の洒落かと思ったりもしたが ちゃんと各々の本名 (Peter Yarrow,Noel Paul Stookey and Mary Travers) だった。 カラオケで唄える曲には、かなり制限がある私など まず最初は彼らのヒット曲「PUFF」で音程を整えている。<*> 略称「PPM」などとも呼ばれていた。 (当時、その作品が出るたびに映画館に通っていた ピエール・パオロ・パゾリーニ監督のイニシャルはPPP) つい先年、北朝鮮拉致事件に関して "Song for Megumi"を発表したニュースが流れる中 そのストレートヘアの懐かしい姿を垣間見たばかりだった。 かつて人種差別撤廃を叫ぶワシントン大行進(1963)の 際に歌われたのが彼らの「天使のハンマー」だったとか。 "If I had a hummer"という歌声の中、聴衆に向かって "I have a dream!"と語りかけたのが、故キング牧師、 その肉声は"I"という言葉に大きくアクセントがある。 歌もスピーチも映画も精神の奥底から発せられる表現だけど 人生への見返りとその終結模様は様々・・・ しかし、精神の限りを伝えつくし、撮り尽くし、歌い尽くした魂は 軽々と天空に昇っていくのに違いない。 キング牧師:1968年4月4日に暗殺 パゾリーニ監督:1975年11月2日に他殺 PPMのマリー:2009年9月16日白血病にて他界 <*> ・ライブで子供から大人・老人までもが歌える「パフ」 もちろんPPMがこの年になるまで歌えるところが何とも楽しい ・1990年の日本公演での「パフ」 ・デンマークのSzhirleyが歌う「パフ」 ・Katie Meaghanの絵本版「パフ」 永遠に生きる魔法龍・パフの前から 季節の中に死滅する者は皆消え去っていく パフは深い息をついて再び洞窟の奥に潜むのみ・・・
台風が近づき気温も下がったせいか 先日来の蝉の声が聞こえなくなった。 幼時、邪馬台国九州説の地山門郡の 田舎でいつも夏を過ごしていたのだが ツクツクボウシの声が聞こえる頃、 子供心にも夏の終わりが意識された。 小泉八雲・ラフカディオ・ハーンの採取 によれば「筑紫恋し、筑紫恋し・・・」と 聴こえるというツクツクボウシの鳴き声は、 既に故郷を遠く離れた者には切実な響きだ。 「つくづく惜し、つくづく惜し・・・」とも聴こえる そのメッセージは、ついに最後はスペイン語で さよならを告げる。 「Adios、アディオス、アディオス…」 心漲(みなぎ)る季節への挽歌・惜別の情が 自ずと耳を支配するのかもしれない。 古池へ蛙が飛び込んだ音に一層の静寂を 聴いた芭蕉は、全山を揺るがす程の蝉の声が 岩に染み入る「閑かさ」を聴いた。 静寂を聴き取る程の耳とは・・・。 確かに手塚以来、「シーン」という”音”を 私たちは知っているのだが。 有名な「蟻とキリギリス」の話は 『イソップ寓話』では「蟻と蝉」が本来の形。<*> ギリシャでは当たり前の夏の蝉の声が ヨーロッパも地中海より北に行くとおそらく 聞けなくなるのだろう。 ほとんど笑い話のたぐいなのだけど、 蝉の鳴き声を知らないドイツ人が 来日して「あのけたたましく鳴く鳥は何?」 と訊いたり、甚だしくは 母国への土産に「あの鳴く樹を持ち帰りたい」と 言ったとか言わなかったとか・・・ 夏の暑苦しさを演出する蝉の声の効果音が 入ったドラマをヨーロッパに輸出する際には 蝉の声を消すという話も聞いた。 「変なノイズが入っている」と思われるからだという。 味わうべき「音声」が「ノイズ」と受け取られる。 味覚にも文化があるように 聴覚にも文化がある。 「文化」とは「彼我の違い」のことなのだろうから。 同僚の中国人に聞いてみたところ、彼らにとって 蝉は食べるものであって聴くものではなかった・・・。 <*> 『イソップ』を基にした『ラ・フォンテーヌの寓話』では 「蝉と蟻(La Cigale et la Fourmi )」 ギュスターヴ・ドレの描く挿絵はこんな風です。 放浪の吟遊歌人の出で立ちのギターを抱えた 少女がボロを引きずった姿で物乞いをしている。 門口に立ったおかみさん風の女性が冷たく言う。 「夏の間ずっと歌っていたのかい。 じゃあ、冬になったら踊ってたらいいさ」
先日札幌に出かける用件があった 随分昔に来た時は日程もゆっくり取れて 往路はフェリーで行ける余裕があったのに 今回は二泊三日ではあるのだけれど 会場と宿舎が同じホテルなので ほとんど外を出歩く暇もなく トンボ帰りの行程 会議の合間に近くの中島公園を散歩 ベンチに腰掛けてスキットルを傾け ブラブラと北海道立文学館を見て回った 三浦綾子展の予告ポスターがある そうか そう言えば『氷点』の舞台は旭川 TVドラマ版も実に寒々としていたのは ストーリの内容だけではなかったのだ 出発間際に届いたレーザーポインターは 猫じゃらしのオモチャのようでありながら 夜半向かいの蔵の白壁に試してみると 赤いポイントを投射可能の本物なれど 発表時間が押して説明も端折り気味 結局一二箇所しか使用しなかった 自分の責任終了後は少し気も晴れて 一人散歩の夕間暮れに北の街の空気を 吸うことができた。 もう日にちの前後も曖昧だけれど 路上から垣間見たその建物にオヤと 思って近寄ってみると確かにそれは 昔立ち寄ったレストラン「ノアの箱舟」 イギリスの建築家ナイジェル・コーツの デザインによるもので、既に化石化した 方船を地中から切り出したという発想 懐かしくて中に入ってオーナーと話すと 昔入ったのは開店間もない頃だった由 あれこれ写真ファイルを拝見 同じナイジェル・コーツが旧拓銀を改造 デザインした小樽ホテルは別の営業に 変わってしまったとのこと ファイルを拝借して二階の席へ移動 地酒と肴でしばし建築家の夢に想いを 馳せてみた 最終日、荷物まとめもそこそこに 帰路も慌しく地下鉄乗り継いで搭乗 ホッと席に身を納めるも しまった スキットルは上部荷物棚の鞄の中 機内珈琲片手に備え付け冊子から 一冊抜き取ってパラパラ眺めていると 開いた頁に見知らぬ作家の紹介グラビア 「尾崎翠(おさきみどり)」 1896年鳥取に生まれ日本女子大に進学 『第七官界彷徨』などの作品を発表するも 心身の病を得て郷里の神経科にて療養 やがて文筆を断ったまま74歳で没す… 帰宅後早速ネット注文して届いたそれは 彼女を評価した花田清輝らの編集になる あの「全集・現代文学の発見」の第六巻 「黒いユーモア」の巻、内田百閒、石川淳 らの大御所に混じって彼女の『第七官界彷徨』 花田の巻末解説は全体で7頁なのだが そのうち(掲載作家は17人なのに) 尾崎翠に関する解説は2頁にわたる 語り手の痩せた赤毛の娘、小野町子は 長兄一助(分裂心理病院勤務) 次兄二助(肥やしと植物の育成研究) 従兄三五郎(音楽予備校生) の三人と同居 (まるで精神と肉体と芸術の間にある如く) 一家の炊事係を担当しつつ 「私はひとつ人間の第七官にひびくような詩を 書いてやりましょう・・・」 とつぶやきながら幾冊もの分厚なノオトに 「昼寝の覚め際などにふっと蘚(こけ)の心に 還ることがある」ような「哀感をこめた詩」を 書き溜めているのだった 終盤小野一助と議論する同僚の精神科医柳浩六が 同席の町子の顔を見て言う 「何処かで見た気がする」 書棚から取り出した洋書を開くと一人の女の写真 「私は女の写真を眺めていたが、この写真はよほど 佳人で、到底私自身に似ているとは思われなかった のである」 どの本とも誰ともついに記されないのだけど 私は直感的にこの西洋の女詩人の写真とは エミリー・ディキンスンだろうと思った。
慌しさの中で フッと思った 7月28日か… バッハの命日 そして「私の命日」だったかもしれない日 あらためてマタイを聴くこともなくなったし、 <*> 手術で取り出した我が骨に線香を上げるような 酔狂もなくなった。 骨は収まる所へ納まれば、それでよいのだろう ただ 第47(39)曲のアルトアリア「憐れみ給え我が神よ」が 時折耳をかすめて行くように思う 風のさやぎや木漏れ陽の中に… 懐かしいリヒター’58年版のヘルタ・テッパーなど何人かの歌でランダムに聴いてみた Hertha Töpper Friedel Beckmann(1941Günther Ramin) Kathleen Ferrier Maureen Forrester (楽譜対照) Julia Hamari (下記リヒター’71年の演奏) Magdalena Kozena Andreas Scholl Eula Beal(メニューヒンのヴァイオリンで英語の歌詞。気品ある映像) 捕われたイエスのことが気になって様子を窺いに来たペテロに対し 女が言う。 「あんたもあの男と一緒に居たんだよね」 「あの男のことなど知らない」 彼は三度問われて三度否定する。 その瞬間に夜明けを告げる鶏が鳴く。 ペテロはハッと胸を衝かれ、 外に出て激しく慟哭する。 最後の晩餐の後のこと、イエスへの変わらぬ忠実を誓った ペテロに対し、イエスはこう告げたのだった。 「いや、お前は暁の鶏が鳴く前に三度私を否認するだろう」 バッハはこのペテロの悲痛を妙なるヴァイオリンの調べに乗せ その悔悟の胸のうちを深くアルトアリアに歌わせる。 "erbarme dich, mein Gott, um meiner Zähren willen!" 「憐れみ給へ、我が神よ、 滴り落つる涙のゆえに!」 レンブラントの描く「ペテロの否認」の場面には、 ペテロの苦渋ある表情の翳りが窺える。 <*> その昔、「無伴奏」で聴いたアルヒーフ盤レコードを手に入れて後も、 レコード版そのままに形を模したCD版が出ると、つい懐かしくて入手。 一旦CDの世界になると、気付けば噂のメンデルベルクを初め、各種 棚に集まってしまい、一体何本あるのかも判らなくなってしまった。 今や検索すれば1971年のカール・リヒターの演奏をPCで観ることが出来る。 (細切れですが全曲聴けます。47曲の「憐れみたまえ…」は13/22、 12/22のラストはペテロの涙でフェイドアウトを演出してあります)
まだ梅雨明けの声が聞こえないうちに 真夏のような日が続いてます。 更新もせずに一月以上経過していました。 それなのに時折通過して下さる方々も おいでのようで、有難うございます。 雨で自転車をあきらめた徒歩通勤の朝。 横断歩道の向こうに見える新装開店の ちょっと派手目のガラス面文字… 信号が変わる間に読んでみると "Can The Person Talk About LOVE While Deatitute To BREAD?" ガラス面の仕切りで単語が分かれていたりも するので読みづらいのだけど、多分そんな感じ。 "LOVE"と"BREAD"が赤い大文字で目立つ。 "deatitute"という単語が、何となくありそうで 記憶に浮かんでこないのだけど、 「パンに対して〇〇する間に、人は愛について 語ることが出来るだろうか?」という意味か。 何だろう、この文章は… 右隅の方に書いてある文字で出典が判った。 from Manon Lescaut by Antoine François Prévost 何だ、プレヴォーの『マノン・レスコー』の引用か。 と言っても、自分で読んだことはないのだけど どんな内容か位は漠然と知るのみ。 昔、クラスに「〇〇麻乃」という生徒がいた。 「まのん」と読ませるという。 もしかして、『マノン・レスコー』から採ったんですか? と尋ねると、「はい、そうらしいです」とニッコリ。 敬意を表して、小説の具体的な内容には触れなかった。 ところで、歩きながら"deatitute"という知らない単語が 気になった。職場に着いて辞書を開く。 ところが、手許の中辞典にもPODにもそんな単語はない。 あれ?もしかして"destitute"の間違い? それならば 「日々の糧に事欠くときであっても 人は愛について語れようか?」と訳せる。 <*> ただ、自分の見間違いだったかも知れないと思い、 帰路もう一度眺めてみても、やはり"Deatitute"。 帰宅してランダムハウス他を開いても見当たらないので 勝手に看板書きのミスなんだろうと結論した。 ただ、その文脈が気になるので、一体どんな場面なのか (本を読む余裕もないので)ネット検索。 英訳版テキストを画面に開き、上記文章で検索… ところが、フレーズにしてもヒットしない。 「bread」「destitute」でも不可。 (もちろん"deatitute"でも) ああ、そうか、仏文からの英訳版も色々あるだろうから 看板引用版はこのテキストとは違った訳し方なのかも。 因みに「love」で検索すれば、さすがに沢山有りすぎて 一々当該箇所を読むのは大変、そこまでして探す余裕は ないので、少し暇になったら探してみようかと。 或いは引用者ご自身も、それこそ「引用句辞典」辺りから 採用されたのかもしれないし、もしかしたらプレヴォーの 作品の言葉を一部もじって高度なヒネリをかけているの かもしれません。スペルミスと断じるのは早計かも・・・。 それにしても確かに、 「日々のパンに事欠く」つまり命が危うくなるような事態は 人類史を通じて綿々と続いてきたのだろうけども、 そんな中にあっても「人間同士の間に通う愛情の問題」は 消え去ることなく交わされ続けてきたのだろうと思われます。 いつも自転車でスイスイとではなく、 時に雨降りの中、傘をさしてゆっくり街を眺めながら歩いて みるのも面白いことでした。 <付記>(09/06/27 夜) 一日椅子に座っていたので夕刻、ブラリと近所を散歩中、 とある店先のガラス戸に地元大学の演奏会のポスター。 演奏プログラムに「マノン・レスコー」の文字が見えた。 期日は本日、という訳で思わず散歩の延長となりました。 当日券売り場に並んでいたら懐かしいS君とも出遭ったり。 ただ演奏曲目は、「前奏曲」と「第三幕への間奏曲」のみ、 帰宅後、プッチーニのオペラ版をチェックしてみました。 <*当該箇所判明>(09/07/04) その後、行き付けの古書店で『マノン・レスコー』を邦訳二種(青柳・河盛両訳)入手。 当該箇所は、各々以下のように訳されていました。 「愛」よりも「パン」を優先する文脈でした。 なるほど、ガラス窓にそう記したかの店は、そのような観点で引用していたのか…?! ”腹が減ってはいくさが出来ぬ” 「けれども、哀れな、いとしい人よ、あなたはそう思いませんこと? あたしたちの今の身の上では、女の操なんて、つまらない美徳だって。 パンなしで恋が語れるとお思いになって? ひもじさあまって、あたし、とんでもない検討違いをするかもしれませんわ。 恋の吐息のつもりでいたら、それが末期の吐息だなんてことにならないともかぎりませんもの。」 (青柳瑞穂訳1956) 「けれど、お気の毒な、いとしい方よ、 私たちの唯今のようなありさまでは、貞節などは馬鹿げた徳だとは思いませんか。 パンに不自由しながら人は恋を語れるでしょうか。 飢えのために私は抑えきれぬ軽侮の心を起こすかもしれません。 恋の溜め息と思いながら、いつか最後の吐息をつくかもしれないのです。」 (河盛好蔵訳1929) 上記英訳ネット版で確認すると、以下のようにガラス窓のとは全く違った英訳でした。 検索かけてもヒットしないはずです。 "but do you not see, my own poor dear chevalier, that in the situation to which we are now reduced, fidelity would be worse than madness? Do you think tenderness possibly compatible with starvation? For my part, hunger would be sure to drive me to some fatal end. Heaving some day a sigh for love, I should find it was my last." (ネット版英訳CHAPTER IV)
今年度から勤務校の名称が「視覚支援学校」と変わった。 梵天丸が政宗へ。 日吉丸が藤吉郎を経て秀吉へ。 「ぶり・ はまち、元はいなだの出世魚」と言ったりもする。 成長につれて新しい名前を内外に表明するのは当然だ。 だけど、おとなしいヨダカに対して、 「お前の名前は夜と俺の名前を半分ずつ借りたのだから返せ」 とばかりに強引に名前の変更を押し付ける鷹はヒドイ奴だ。 嫌がるヨダカに「イチゾウ」という名前を与え、 「以後、私は『イチゾウ』と申します」 と首に札を付けて、一軒一軒口上を述べて歩け、 とは何たることだ。 (昨年度末の校内公聴会で私は 賢治の『よだかの星』を挙げて意見を述べたのだが) 「支援」とは何だろう。 支援されなければ、社会的に独り立ち出来ないとでも言うのか・・・ ならば通常の小中高大学は 「知的発達支援学校」 「社会常識支援学校」 「就職獲得支援学校」 とでも言わなければならないのだろうか? 人に対して公然と「支援」などと、 一体何様のつもりなんだろう・・・ 「障害」の「害」を平仮名で書く風潮も 私には素直に受け取れない。 「盲」「聾」という字を 私は差別とは思わない。 春休み中に業者が来て外した旧校名の看板が 事務室内のダンボール箱に一字ずつばらして 入っていた。 私はひそかに「盲」の字を頂戴しに行った。 ところが、無い! 用事があって校長室に行ったところ あった! どこか場所を決めて、そのまま保存する由、 「聴覚支援学校」から転任して見えた校長は この件に関しては同志と見えた。 さて、ジョヴァンニ・ガブリエリである。 先日、この校長室にK先生をお招きする仲介を取った。 K先生は元本校の音楽教師、その後S高に転出された。 私も初任校からS高に赴任し、長らくK先生とのご厚誼を得た。 K先生が本校卒業生を組織された演奏グループが 「ガブリエリ・ブラス」 退職されて久しいS先生は、沢山の音楽活動の中、 このグループとの活動が続いている。 校長と面会頂き、その活動へのご理解を賜った。 本日は、その第30回定期演奏会だったのだ。 プログラム第一曲は グループ名の由来ともなったジョヴァンニ・ガブリエリ作曲 「ピアノとフォルテのソナタ(sonata pian' e forte)」 金管八重奏の最初の響きに胸を衝くものがあった。 天国の扉が開く時に聴こえる音はこのようなものだろうか… と信仰なき者にも思わせる何かがあった。 初代メンバーによる バッハの「フーガの技法」 途中、音が合わず中断しての再開・・・ しかし、一つのテーマのもとに 独り一人の音が互いに寄り添いつつ 重なる様には感動があった。 マーラーの五番や 金管の本領発揮のマーチが続き、 そしてアンコールの「浜辺の歌」 朝な夕なに打ち寄せる波の音も 浜辺を吹き抜ける風の音も 流れる雲のさまも 月の色も星の影も そして打ち寄せられた貝の色も 昔のこと昔の人を偲ぶよすが・・・ そして 寄る年波の 運び去るもの 運び来るもの 打ち寄せるものは様々・・・ 波は還る 風も還る 暦も還る 無限のさざなみの中に 還ってゆく
年度当初の慌しさを突き抜けると もう既に葉桜の頃となっていた。 「各地にパトリオット、 所によりミサイルが降る怖れ」 との予報も幸いに外れ 「全て世はこともなし…」 <*> いつの間にか 季節は初夏に向かっている。 <*> ロバート・ブラウニングの劇詩『PIPPA PASSES』(1841年)221行~ より「ピパの歌」 PIPA'S SONG by Robert Browning The year's at the spring, And day's at the morn; Morning's at seven; The hill-side's dew-pearl'd; The lark's on the wing; The snail's on the thorn; God's in His heaven-- All's right with the world ! 上田敏の名訳『春の朝(あした)』は、 訳詩集『海潮音』で世にもてはやされた。 春の朝 (上田敏訳) 時は春、 日は朝(あした)、 朝は七時、 片岡に露みちて、 揚雲雀(アゲヒバリ)名のりいで、 蝸牛枝に這ひ、 神、そらに知ろしめす。 すべて世は事も無し。 「カタツムリ枝に這い…」 とは言うものの "thorn"とはトゲだ。 さぞ痛かろう、と思ったことだった。 世の中の安定も トゲの上のカタツムリのようなものか・・・。 対訳詩集 朗読
2年前に閣議決定された「自衛隊法第82条の2第3項」に基づく発令が遂に下った。 ある意味、戦後史上 不謹慎な私の連想は、品川沖に現われつつあるゴジラへの 自衛隊による迎撃体制の緊張を呼び起こす。 伊福部昭の音楽も聴こえてきそうだ。 <*> 更にある意味、恐るべきゴジラは近・現代史が産み出した鬼子でもあった。 1954年のオリジナル予告編はこちら。 <*> 陸自ブラスによる演奏もなかなか。
同僚関係の葬儀に参列してきた。 列車で片道一時間程 途中の車窓から海が眺められた。 久し振りに見る春の海のキラメキは 心の奥に広々と沁みた。 駅を降りてしばらく歩くと 寒風吹きすさぶ山裾の寺。 長い一本道をやってくる親類縁者の葬列を 住職の銅鑼が迎える。 曹洞宗の威儀高い読経と檀家衆のご詠歌。 御母堂の遺影は柔和な笑みを湛えていた。 参列の同僚から帰りの同乗を誘われたのだけど 駅へ歩いた。 一時間の待合室は寒い。 駅前の店に入ると 「ああ、先程の葬儀の・・・」との主人の声。 親族の同級生だった由。 ポケット・ウヰスキーを買って駅に戻った。 列車の揺れは心地好い。 持参の本<*>を取り出して頁を繰る。 アンリ・ルソーの表紙絵(Carnival Evening)に 音楽が重なるような気がする。 車窓からの海は 既に鉛色に変わろうとしていた。 夜半 InternetArchiveSearchを検索していて 偶然、黒澤の『生きる』を久し振りに観た。 メフィスト役の伊藤雄之助も懐かしかった。 <*> 吉田秀和『永遠の故郷 夜』(集英社2008) リヒャルト・シュトラウスの『最後の四つの歌』を思わせる四部作。 第二部「薄明」もこの2月に出た。 「昼」「黄昏」と続く予定の、吉田翁の九十路の平らかならんことを・・・
三月も末だというのに昨日は夕刻から雪がちらつき始めた。 職場の中庭に段々と降りしきる雪模様を眺めながら フト思った。 「お日さま」「お月さま」とは言うけど、「お雪さま」とは言わないナァ・・・ そうか、「お星さま」とくればわかることだけど、 天体限定なんだな、きっと。 地上に降り立つようなものには「さま」は付かないわけだ、 「お雨さま」「お風さま」とは言わないし。 チベット語には、同じく天体などに関して この「お~さま」の尊称があったはず。 そのうち、確認してみよう。 退勤時刻になり、帰宅する同僚が声を掛けていく。 「お疲れさまァ」 お、これも「さま」か・・・・ 「疲れ」に対して敬意を表明しているのだろうか・・・? 用例を考えてみる。 「お世話さま」 「お疲れさま」 「ご苦労さま」 「ご愁傷さま」もそうか でも、「お喜びさま」「お楽しみさま」とは言わない。 相手の苦労や辛さをねぎらうような場合のみ、言うのかもしれない。 「疲れ」「苦労」そのものに対する敬意ではなくて、 それを抱えている相手に対するねぎらいといたわりを示す挨拶か。 そう言えば、 一頃から店の場所を示す地図などで、 近隣の他の店を「〇〇さん」などと、 やはり「さん」付けで示しているのを見かける。 外部の会議などで、他校の出席者を指して 「〇〇校さんの方では、この件いかがですか?」 どうにもこの言い方には馴染まない。 「〇〇校では、この件いかがですか?」で充分なのに。 校内でも「〇組さん」などという言い方を聞いたりもする。 個人を超えた集団名にも尊称をつけないと 「アメリカさん」に怒られるかもしれないと思うのだろうか 国際会議などでの使用例を想像すると断然おかしい。 日本特有の感性なんでしょうね。 今日見たチラシには驚いた。 「ローソンさん」「99ショップさん」はこれまでも目にしていたけど 今や「〇〇様」との表記、 それも「〇〇銀行様」「〇〇区役所様」「大学病院様」・・・! もしかしたら 「〇〇公園様」「〇〇通り様」もあるかと思ったけど、 さすがに、これらに「様」は付いてなかった。 お客として来店してくれる人がいる建造物でないと駄目らしい。 「さま」の用法、まとめてみました。 1.尊称: 高橋様、佐藤様、お殿様、お代官様、お医者様・・・ 1b.超越的存在: 神様、仏様、(鉄腕)稲尾様・・・ 2.自然現象(天体): お日様、お月様、お星様・・・ 3.慰労・慰謝: お疲れ様、お世話様、ご苦労様、ご愁傷様・・・ 4.近隣店舗地図: 〇〇屋様、ローソン様、〇〇銀行様、〇〇署様、〇〇区役所様、大学病院様 いずれ、「〇〇公園様」「〇〇駅様」「〇〇通り様」の出現もそう遠くはないのかも。 いや、それはないでしょうね、きっと。
いつからか市内でもあちこちにアイリッシュ・パブが出来ていたのに 先日、そのうちの一つが消えていた。 おや、いつの間に・・・と思いつつ通り過ぎたのだけど、 突然、Luke Kellyの「ワイルド・ローヴァー(WILD ROVER)」が 耳の奥に聞こえ始めた。 アイルランドに渡ったS君が現地で揃えたCDを沢山貸してくれたのは、 随分昔のこと。 そのうち自分で買えばいいか、と思ってダビングも遠慮したのだった。 中でも、とりわけ記憶に残ったLuke Kellyの声が頭の中で鳴っている。 帰宅後、 そうだYouTubeで聴けるはずだ、と思って検索。 今や老いたるTheDublinersのメンバーも健在、 だけどLukeはとっくに此の世を去っている。 ギネスが切れているので、電気ブランをグラスに注いで聴き入った。 やはりスタジオのそれよりも、会場ライブの方がよい。 その昔、京都で再会したS君と飲み歩いた後、 一緒に「No,Nay,Never...!」と高歌放吟して 静かな寺町に迷惑をかけた。 Luke Kellyは84年の1月に亡くなっているので 次の演奏はその3ヶ月前のものなのだろうか。 Wild Rover (6th October 1983) 歌い終わっても、会場の拍手と口笛が鳴り止まない。 全体の歌詞に適当な訳をつけてみました。 <*1> 古今東西、よくある風景かも・・・ 更に検索してみると、借りたCDで覚えた沢山の懐かしい曲が聴ける。 やはり昔、 ダブリンより来日したALTから一枚のポストカードを貰ったことがある。 その手押し車の写真を見て、私は自然にこんな歌が口をついて出てきた。 "♪ In Dublin's fair city, where the girls are so pretty..." <*2> 眼を丸くして、何でその歌を知っているのか、と聞かれ、 S君からの由来を話したのだった。 モーリー・マローン(Molly Malone)が魚を売るその手押し車の像も 今や、ネットで何枚も見ることが出来る時代となっている。 彼女のこんな由来話もあったのだった。 Irish Historical Mysteries(Molly Malone) The Dublinersの初期のCDではこんな感じ。 <*3> Molly Malone 「Molly Malone」の他のバージョンも聴いていたら シネード・オコナー(Sinead o'connor)も歌っていた。 http://www.dailymotion.com/video/x4rcyc_molly-malone_music Enrico Rialti によるこんなバージョンによれば、 アイルランドの国民歌のような感じです。 <*4> irish traditional song performed by enrico rialti as a tribute to irish music and irish singers, from U2 to Van Morrison to Sinead O'connor <*1> 「WILD ROVER(ワイルド・ローヴァー)」 [1] I've been a wild rover for many a year, And I spent all my money on whiskey and beer. And now I'm returning with gold in great store, And I never will play the wild rover no more. <Chorus: And it's no, nay, never, No nay never no more. Will I play the wild rover? No never no more. > [2] I went to an ale-house I used to frequent, And I told the landlady my money was spent. I asked her for credit, she answered me "Nay, Such a custom as yours I could have any day." <Chorus> [3] I took from my pocket ten sovereigns bright, And the landlady's eyes opened wide with delight. She said "I have whiskey and wines of the best. And the words that I spoke sure were only in jest." <Chorus> [4] I'll go home to my parents, confess what I've done, And I'll ask them to pardon their prodigal son. And if they forgive me as ofttimes before, Sure I never will play the wild rover no more. <Chorus> [1] 何年も放蕩をやらかしてきたもんだから、 持ち金は皆ウィスキーとビールに消えちまった。 だけども今や、しこたま稼いで戻ってきた。 だからもう、絶対に放蕩三昧やらかすもんか。 <で、もう絶対、まったく、誓って、 決して決して嘘じゃない、 放蕩三昧やらかすもんか、 神仏天地天命に誓いますってば!> [2] 昔行きつけの飲み屋に行って、 金はないよと女将に向かって つけにしとくれと言ったところ、 「冗談じゃない、あんたのやり方は金輪際 うちじゃ通用しないんだからね」 <Chorus> [3] ポケットから手の切れる札ビラをちらつかせたら 女将は目を丸くして嬉しそうに言いやがった。 「今の言葉は勿論冗談に決まってるじゃないか、 上等のウィスキーもワインも、サァやっとくれよ」 <Chorus> [4] サァ、俺の家に帰るんだ、親父お袋に謝ろう、 どうかこの放蕩息子を許してくださいって。 で、昔みたいにこの俺を許してくれたなら、 もう絶対、放蕩なんてやらかすはずはない。 <Chorus> <*2> 「MOLLY MALONE(モーリー・マローン)」 [1] In Dublin's fair city, Where girls are so pretty, I first set my eyes on sweet Molly Malone, As she pushed her wheelbarrow, Through streets broad and narrow, Crying, "Cockles and mussels, alive, alive oh"! <Chorus: Alive, alive oh! alive, alive oh! Crying, "Cockles and mussels, alive, alive oh"! > [2] Now she was a fishmonger, And sure 'twas no wonder, For so were her mother and father before, And they each wheeled their barrow, Through streets broad and narrow, Crying, "Cockles and mussels, alive, alive oh"! <Chorus> [3] She died of a fever, And no one could save her, And that was the end of sweet Molly Malone. Now her ghost wheels her barrow, Through streets broad and narrow, Crying, "Cockles and mussels, alive, alive oh"! <Chorus> (これも勝手な訳をつけてみますと・・・) 娘可愛いや麗しのダブリン モーリー・マロンを初めて見しは 表通りや裏通り 手押し車を押しながら 「鳥貝、紫貝、サァ、生きがいいヨォ!」 引き売りしているその姿 魚売りのその業は 父母譲りのさだめにて 親達もまた手押し車を押しながら 「鳥貝、紫貝、サァ、生きがいいヨォ!」 引き売りしていたその姿 熱病で死んじまったモーリー・マローン 誰に看取られることもなく しかし彼女の幽霊が 今も手押し車を押している 「鳥貝、紫貝、サァ、生きがいいヨォ!」 引き売りしているその姿 生きてるよ、 今も生きてるよォ・・・・ 引き売りの手押し車と モーリー・マローンのその声は 今も表通り裏通りに響いている (適当に訳しているうちに 段々ゴースト・ストーリーになってきた!) モーリー・マローン、 何だか、マリリン・モンローと響きが似ている・・・ <*3> しかし、このモノクロの陰鬱なダブリナーズのCDジャケット、 文字通り、ジョイスの『DUBLINERS(ダブリン市民)』の表紙になりそうな写真だ。 彼らのレパートリーに『フィネガンズ・ウェイク』だってあるところが やはり「ダブリン市民」だ。 「ダブリンの通りには、ジェイムズ・ジョイスの像が当たり前のように あるんです。」 と言っていたS君の言葉が蘇る。 「へー、東京の街に漱石の像があったりはしないよネェ・・・」 などと応えたことが思い出される。 (その後、千円札にはなったけど) 彼も典型的なIrish Rover(さ迷い人)か、ティム・フィネガン、 この「フィネガン(FINNEGAN)の通夜(WAKE)」の物語。 人生の梯子から転げ落ち、通夜(WAKE)で覚醒(WAKE)し、 終末の「the」は原初の「riverrun」に回帰できるのだろうか・・・ (J.ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』) Dropkick Murphysの聖パトリック祭のライブではこんな感じ。 「Tube365」(洋楽歌詞検索)では、きちんと歌詞が出てくるので こんな早口の歌の理解には有り難いです。 ただし、ちょっとアチコチ怪しい・・・ で、こちらの方が歌詞の信頼性は高いです。 http://ingeb.org/songs/timfinne.html <*4> GYAOで昔懐かし『時計仕掛けのオレンジ』を観ていたら ホームレスのおっちゃんが「モーリー・マローン」を唄っていた。 当時観た時は気付かなかった。 やはり、酔っ払うと自然口をついて出てくる国民歌なのかも。
夢野久作の短篇『支那米の袋』を読んでいたら、 「ニチエウオ」という言葉が出てきた。 ロシア人の女給が酒場で話す会話の中。 この「ニチエウオ」について、ロシア語を解する同僚に尋ねた。 聞けば、「ニチェヴォ」という何と言うこともない言葉で 「Never mind(気にしなくとも大丈夫)!」の意味だという。 後に「スパシーヴァ(Thank you)」を添えたりもするとか。 ついでに調べていたら、テネシー・ウィリアムズの短編集に 登場する猫の名前に使われているようだ。 取り寄せて読んでみた。 『風変わりなロマンス(The Strangest Kind of Romance)』と 『呪い(The Malediction)』 二作とも安アパートに住まう小男の物語。 先住者のロシア人が置いていった猫(ニチェヴォ)が男の運命に絡む。 前者の作品にはラストに暖かい希望を抱けるが、 後者は救いのない暗さが胸を塞ぐ。 それでいて、「NICHEVO」なのだからどうにも堪らない。 そう言えば、夢野久作の短編のテーマは やっとラストで理解されるのだけど、 「(日本文化に根ざす)世界一の贅沢な遊び」の話なのだった、 それも「一生に一度っきりの」
旧い馴染みの先輩教師H先生の通夜に参列してきた。 かつてS高の国語科では同僚として教えを乞うたし、 県の事務局運営では、Mさんと一緒に年輩のH先生を 事務局長に担いだことがある。 100校を超える連絡文書の表書きのため 一斉添付のためのシールを作ろうとしたところ 書の師範格でもあるH先生は 「その位の分量なら私が書きますよ」 サラサラと毎回100通余りの封書が即座に仕上がった。 俳句をものす趣味人にして教養人、 その悠揚迫らぬ体躯と物腰は、かつての毛沢東主席か 或いは虎と眠る「四睡図」の豊干(ぶかん)の如くであった。 その昔、彼より若くして亡くなった同じ国語科のT女史の 遺稿集を編んだことがあった。 書棚を探して開いてみる。 彼が寄せてくれた悼句を巻頭に挙げたのだった。 「逆縁のあえかにかくて秋深し」 思えば、この遺稿集の題字をお願いしたA先生も 既に逝かれて久しい。 上記の歌人Mさんの悼歌が、今しみじみと思われる。 「なほ生くる身をたまものと知り初めつ月あれば越ゆこの齢坂」 通夜の会場で懐かしい元同僚の方々とお会いすることが出来た。 H先生と同期のO先生から、昨年同席された会で書かれたという 句の写しを頂いた。 そう言えば同席の宴などでも、箸袋にペンを走らせておられる様を よく見かけたものだ。 (白秋の地、柳川をご一緒した際にも掘割を行く船の上でもそうだった) 「一夜さの縁無尽の断腸花」 (ひとよさのえにしむじんのだんちょうか) 断腸花とは「秋海棠」の別名である。 永井荷風の『断腸亭日乗』は庭にこの花を愛でていたからだというが 花言葉は「恋の悩み」とか・・・。 豊干禅師の風体のH先生にしては、ちと艶めいた趣に思えて嬉しい。 きっと寒山拾得を従え、虎と共に豊かな眠りを眠っておられるに違いない。
「タンデム」<*1> 一般には二人漕ぎ自転車のことを言うのだけど 本来、前後に二頭つないだ馬車のことを言うらしい。 S田君が送ってくれた新聞連載小説の題が「タンデム」。 全盲の方にサイクリングを体験してもらうためのイベントを テーマにした作品だ。 そのイベントに参加するはずの父親が直前に捻挫してしまい、 高校生の息子亮が代わりに初めて参加することになる。 強情な父と家族とのやりとり。 初参加の息子を沿道で見守る父。 全盲の今福さんを後部サドルに乗せてコースを説明する亮。 陽射しや風、植物の匂いや水辺の音に鋭敏に反応して むしろそれらを亮に気付かせる今福さん。 イベントの場所は筑波山を見晴るかす巨大な貯水湖のほとり。 埼玉・群馬・栃木・茨城の四県が寄り添うその境界線上にある 渡良瀬遊水地とのこと。 S田君の住まいの近くなので、彼の体験記かとも思われたが、 前出の「キクチ朗読劇場」で巧みな創作秘技を発揮した筆力は そう単純なものでもないだろう。 お礼の電話を入れて確認してみると、やはり自転車でよく行く 場所ではあるらしいのだけど、そこで眺めたイベントだった由。 独り暮らしの彼の観察と想像力は、眼前に展開する風景を前に、 架空の父子のストーリー、タンデム走行の仔細な描写、 そして「今福氏」の生い立ちからその家庭的思い出等々…を ビジュアルに紡ぎ出して行ったのだ。 MO学校勤務三年目になる当方は、早速勤務校で質問。 全盲の同僚K氏・T氏に尋ねた。 まず本県では、そのイベントはないとのこと。 組織というよりもそういう仕事を継続的に担える人の集まりが 本県には未成熟なのだそうだ。 T氏は近県で行われたタンデムイベントには参加した由。 本県でも行われれば参加してみたいとのこと。 K氏は曰く、自分は後ろに乗るのは嫌だとのこと。 障害物のない広いところで一人で乗りたいのだそうだ。 まあ、彼らしい発言ですけどね。 タンデム走行は公道では認められないのかと聞けば、 県の条例によるのではないかと。 (全国情報は上記「タンデム」リンク先に詳しい) 近所で自転車工房を営みサイクリングレースにも詳しいS君に 今度アクセスしてみよう。 何か具体化するきっかけが見つかるかもしれない。 ところで、前後に二人並んで乗ることがタンデムなのだから、 前後二人座席の戦闘機も、やはりタンデム。 スカイ・ダイビングで一つのパラシュートに二人くくりつけて 飛び降りることもタンデムと言うそうだ。 色んなタンデムがあるのですね。<*2> <*1> "tandem" ラテン語の辞書を開いてみると、 "at last, in the end, finally”という意味の副詞のようだ。 同じ風景を眺めつつ共にペダルを漕ぐタンデム自転車の、 のどかさだけではない何か切実な一体感が感じられます。 「ついに、最後に、とうとう…」 何だか運命共同体的な緊迫感がありそうだ。 「性急に緊迫した調子をこめると "now, tell me, please..."の意味にもなる」(と辞書に)。 一つのパラシュートで、後ろから、そう言われても…ネェ。 確かに「タンデム」とは、 そのような性急な緊迫した「死なば諸共」の関係を言うのかも。 <*2> タンデム自転車で世界一周をしている日本人夫婦もいるらしい。
同期会サイトに紹介してあったS田君の著書『広重のカメラ眼』。 注文して読んでみようと思っていたところ、別件検索のさなか、 広重の浮世絵<*1>をバックに、何と タルティーニの「悪魔のトリル」<*2>が流れていた。 江戸の風景が哀しいほどに美しく見える。 演奏はダビッド・オイストラフ(David Oistrakh) pt.1 pt.2 <*3> シンガポール出身のヴァネッサ・メイ(Vanessa Mae)の メタリックな演奏になるとアニメにもよくマッチして、 更にまた世界が飛躍します。 "KINGDOM HEARTS" "FINAL FANTASY XⅡ" 実際に悪魔がベッドサイドで演奏してくれる様子はこちら。 タルティーニが語ったと言われる作曲逸話を絵にしたものか。 恍惚として聴き入る人の様子に共感できそうな気もする。 演奏はイッァーク・パールマン(Itzhak Perlman)。 <*1> 歌川広重『名所江戸百景』 広重とくれば、やはり同期のI藤君の登場を欠かせない。 上記本の題名と同じく「広重のカメラ眼」というサイト、S田君との共同作成とのこと。 両君の各々のコレクションと解説が施されている。 コレクターI藤君の炯眼と秘めやかな友情が偲ばれる構成だ。 <*2> Giuseppe Tartini(1692-1770) 「ヴァイオリンソナタ ト短調("The Devil's Trill")」 <*3> (2009.2.28記) どういうわけか「広重画像付きオイストラフ版」が削除されてしまいました、残念! 代わりにミカラ・ペトリ(Michala Petri)のブロックフレーテの演奏を。 後半のトリルの箇所の技術が凄い・・・
睡眠障害のようでもあった先日来のある朝方、 何の脈絡もなくS田君が夢に現れた。 彼とは中学一年のクラスで一緒だった。 周囲がまだ子供子供している中で、彼は既に 大人の風格、決して秀才面しない奥床しさも 私には心地好く、クラス写真などではいつも 並んで写っていたように思う。 同じ高校に進学したのだが、三年間クラスも別で 特別親しい付き合いがあったわけでもない。 偶然再会したのは、予備校の帰路、総武線の 中でのこと。 彼は冬コートのポケットのあちこちから沢山の 文庫本を取り出した。 見ると岩波文庫版「ファーブル昆虫記」全10巻、 神保町の古書店で買ってきたのだと言う。 かつて昆虫採集少年だった私にも懐かしく、 昔読んだよ、と言うと、曰く 「これは、大人になって読むと又違うんだよ。 人間のことが書いてあるからね…」 かすかな反発と妙な納得を感じたのだった。 以後、彼との接触はなく、長い歳月が過ぎた。 中学・高校の同期会から接触があったのは 一昨年の冬。 案内を受けて卒業以来初めての高校同期会に 顔を出したのだが、S田君の姿はなかった。 ただ、同期会のサイトにつながりが出来た。 そこに寄せられた「キクチ先生の朗読劇場」 に関する素人離れしたレポートによって、私も又 思い出の断片を綴り始める契機を得たのだが、 その筆者A君が実はこのS田君であるということを サイト主催者のI藤君がメールで教えてくれた。 I藤君の計らいによって私とS田君との交流が 復活したのだった。 メールもネットもやらないS田君からの電話は、 互いに中高時代の顔を受話器の向こうに想定 しながら喋っているのがどうにも奇妙でおかしい。 そのS田君から先日、大きい封筒が届いた。 帰宅後に開くと彼が地元の新聞に連載した読み物。 「タンデム」と題したその冊子綴じの抜き刷りを手に 風呂で読むその至福感は、心身の疲労を癒やした。 添付された手紙の日付を見ると、丁度彼が夢に現れた その日であったことに驚いた。 <続く>
S田君の話の前に、ちょいと寄り道。 久し振りにS先生とお話しする機会を得た。 小雨降る窓の外を眺めつつ一時を過ごした。 人の世の定めと自らの未熟を今更ながらに痛感した。 帰路の列車はガランとして、雨の雫が窓を流れた。 いつの間にか、ウィスキー・フラスコの中身も底を尽いていた。<*> <*>「Whisky Flask(ウィスキー・フラスコ)」 「ヒップ・フラスコ」とも呼ばれるように、尻のポケットに入れて フィットするような独特の形状が特徴。 その微妙なカーヴが、手に取って口にする時にも具合がよい。 実は最後の一滴までスムースに飲めるためにあの形状がある ということは、使ってみて初めて判る理屈。 内部を洗うことが難しいため蒸留酒(spirits)しか使用できない。 それも嬉しい制限だ。列車の一人旅にはこれと本があればよい。 「スキットル」とも言われるのだけど、"skittle(s)"を辞書で引くと 「九柱戯(nine pins)」という訳語がある。 そのピンにこのボトルの形状が似ているからだそうだ。 "Life is not all beer and skittles." (人生は楽しみばかりとは限らない)という例文が載っていた。
久しぶりにプロバイダからのメッセージに注目してみると 「コメント承認制」の機能がようやく本ブログでも整備された由。 一頃からスパムコメントに辟易してプロバイダ宛にメール、 同機能整備を進言していました。 今回の整備に寄せられた利用者の側の沢山の反応を読むと、 皆さんも同様の意見だったことがわかります。 ということで、「しもた(仕舞うた)屋」のような我がひっそりブログも ご無礼ながら、しばらくコメント欄を非表示にしていたのですが、 本日より表示再開ということに致します。 (せっかく頂戴するものを「承認」など、甚だの失礼お許し下さい) いつ来ても閉まっていたり、棚の様子も千篇一律のような店には お客とて呼べませんが、時折のご訪問を頂ければ有難く存じます。 「しもた屋」という言葉ですが、「(店を既に)仕舞うた」家ですから 町家の中にあってひっそりと店を畳んでいるのでしょうね。 兼好法師の曰く(「徒然草」155段)、 「死は前より来たりしも来たらず・・・ 沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し」 死は遥か沖からやって来るかと思いきや、 いつの間にか足許にヒタヒタと押し寄せている。 私なども既に「しもたや」の如く、 世間様の中にあってひっそりと写経などに励んでみたく 人生の黄昏時に至った思い。 高校の同期会からのメールにも、同期生或いはその配偶者の訃報・・・、 足許より潮満つる如くいつ訪れるやも知れぬ死という客を待ちつつ 罪障滅尽・欣求浄土の思い切実。 眠れぬ夜にフト、中学高校時代の友人が夢に出てきました。 そのS田君のことについては、又次回に致します。
アメリカ独立戦争当時1777年から1778年にかけての冬、 当時の首都フィラデルフィアをイギリス軍に占拠された ジョージ・ワシントン将軍とその兵士達は、宿営地の バレーフォージ(Valley Forge)で試練の時を過ごしていた。 積雪15センチ、川は凍結、食料・装備ともに不足の持久戦で 兵士らは飢えと寒さと病気で苦しんでいたが、日々厳しい軍事 訓練は彼らの士気を衰えさせることはなかった。 やがてイギリス軍がフィラデルフィアから撤退したという知らせに 全軍の兵士の間に歓呼の声が挙がった。 オバマ新大統領就任演説の最後の部分は、このエピソードを 踏まえているようだ。 改めて眼を通し、自分の言葉に適宜置き換えてみることにした。 誤訳寛恕されたし。 @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ In the year of America's birth, in the coldest of months, a small band of patriots huddled by dying campfires on the shores of an icy river. The capital was abandoned. The enemy was advancing. The snow was stained with blood. アメリカが産みの苦しみにあったその年の、最も寒さ厳しい数ヶ月、 愛国者達の一群が凍てつく川のほとりで 今にも消え入りそうな焚き火の周りに寄り添っていた。 首都は見捨てられ、敵は迫り、雪は血に染まっていた。 At a moment when the outcome of our revolution was most in doubt, the father of our nation ordered these words be read to the people: "Let it be told to the future world, that in the depth of winter, when nothing but hope and virtue could survive, that the city and the country, alarmed at one common danger, came forth to meet [and to repulse it]." <*> 我々の革命の行方が全くどうなるのか判らないと思われたとき、 建国の父(ワシントン)は次の言葉を読むよう皆に命じたのだった。 「未来の世界に語らしめようではないか、 厳冬の底にあって、 希望と美徳だけが辛うじて生き残れた時、 共通の危機にさらされた都市と地方とが、 立ち出でて応戦し[それを撃退し]たのだ、と。」 America. In the face of our common dangers, in this winter of our hardship, let us remember these timeless words. アメリカよ。 共に直面する我々のこの危機にあたり、 厳寒の冬の如きこの艱難辛苦に際し、 時を超えたこの言葉を思い起こそう。 With hope and virtue, let us brave once more the icy currents, and endure what storms may come. 希望と美徳とを胸に抱いて、 我々もまた凍てつく流れに対して勇敢に立ち向かおう、 そうして、どんな嵐がやって来ようともそれに耐え抜こう。 Let it be said by our children's children that when we were tested we refused to let this journey end, that we did not turn back nor did we falter; and with eyes fixed on the horizon and God's grace upon us, we carried forth that great gift of freedom and delivered it safely to future generations. 子々孫々に至るまで、こう言われるように振舞おうではないか、 「試練に遭った時、自らの旅路を投げ出そうとはしなかった」と。 「来た道を後戻りしたり、逡巡したりはしなかった」と。 「そして地平線と降り注ぐ神の恩寵に眼差しを据えて、 かの自由という類稀な贈り物を携え行き、 来たるべき世代へ確かに手渡したのだ」と。 @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ 身を切るような困難の中で「希望と美徳」を抱き続ける者のみが 未来に亘って自由と勝利を手に入れることが出来るのだろう。 <*> イギリス生まれの社会思想家トマス・ペイン著 『アメリカの危機(THE AMERICAN CRISIS)』の一節。 1774年にロンドンからアメリカに渡ったペインは 『コモンセンス(COMMON SENSE)』(1776)を出版して、 アメリカがイギリスから独立することの「常識」を主張、 その独立的愛国心を鼓舞した。 オバマによるこのトマスの文章の引用は(ネット掲載では) "came forth to meet [it]."となっているけれど、 上記『THE AMERICAN CRISIS』に眼を通してみると "came forth to meet and to repulse it."とある。
長唄を舞う知人から 賀状への返信ありました。 石川勾当作曲の地歌筝曲『新娘道成寺』 先の四句が歌詞に織り込んである由。 検索してみたらこんな詩句でした。 「鐘に恨みは数々ござる 初夜の鐘を撞くときは、諸行無常と響くなり 後夜の鐘を撞くときは、是生滅法と響くなり 晨(じん)鐘の響きには、生滅滅已 入相は寂滅為楽と響けども 聞いて驚く人もなし 我は後生の雲晴れて、 真如の月を眺め明かさん」 謡曲『道成寺』は安珍清姫の怖ろしくも哀しい 鬼女もの演目の一つ。 …昔この国の辺りに某といふ者のありしが、一人の息女を持つ。 その頃、熊野詣での客僧、某のもとを定宿とし、 常に土産をば息女に与へしかば、某、息女を寵愛の余り、 この客僧こそ汝が夫よ、汝は妻よ、などと戯れけるを、 幼心にまことと思ひ、年月を送る。 ある年、かの客僧、某のもとに来たりしが、かの息女申すやう、 いつまで我を捨て置き給ふぞ、今は連れて下りあれ。 客僧大いに驚き、夜に紛れ逃げ去りて、この寺の釣鐘を下ろし その中に隠さる。 後を追ふ女は、水の増したる日高川のほとりに足踏みせしが、 両手にて鬢を掴みて念ずれば、 ついに一体の毒蛇となりて易々と泳ぎ渡る。 この寺に至りて其処彼処と尋ね這ひ回りしが、 置きたる鐘を見つけ七重に巻きて火を吐けば、 鐘は即座に煮えたぎり、遂に僧は焼け死ににけり。… 「真如の月」を眺めることが出来るためには、 一体どれだけの日高川を渡らねばならないのだろうか・・・。 <*> (初め、歌川国芳と勘違い、失敬しました! 月岡芳年、改めて画集を引っ張り出しました。 現代の凡百のイラストレーターなど 腰を抜かす程の浮世絵師の技量です。) 「清姫日高川に蛇躰と成る図」(月岡芳年『新形三十六怪撰』より)
2009年の歳旦にあたり春詞献上申上候 <*1> 「悪路杖(acrostick)」 <*2> 十二支の巡る暦を数ふれば 牛の歩みの足跡も <*3> 牽(ひ)く荷車の轍(わだち)の下に 寂滅為楽と消ゆるなり <*4> <*1> 12月30日の深更に『法句経』と近松を併読中、 頭に浮かんだ戯詩を翌日賀状用に仕立てたもの。 年々安直な賀状になって来ました。 悪路に杖さす歩みなれば、文意立たざるところ ご寛恕あれかし。 <*2>アクロスティック(折句) 各行頭字「十牛牽寂」 居なくなった牛を尋ね求める牧童の一連の過程 (探索・発見・牛に乗っての帰舎・自他ともに消える静寂の境地…) に禅の象徴を説く「十牛図」参照 <*3>牛の歩みの足跡 初期仏典『法句経(DHAMMAPADA)』の第一句参照 「ものごとは意(こころ)に支配せられ、意を主とし、意より成る。 人がもし汚れた意をもって語り、また行えば、かれに苦が従うこと、 あたかも車引く牛の足跡に車輪が[従う]如くである。」 <*4>「寂滅為楽(じゃくめつゐらく)」 『大般涅槃経』巻第十三「聖行品」第十九之下 諸行無常 諸行は無常なり 是生滅法 是生滅の法なり 生滅滅已 生滅滅し已(おは)りて 寂滅為楽 寂滅を楽と為す この有名な四句の箇所は羅刹とのやりとりが興味深いのだけど、 それより、この四句、「いろは歌」の出典とも言われたりします。 各行、次のように対応する由。 一寸無理があるようにも思えますが… 諸行無常 いろはにほへどちりぬるを 是生滅法 わがよたれぞつねならむ 生滅滅已 うゐのおくやまけふこえて 寂滅為楽 あさきゆめみじゑひもせず cf.近松門左衛門『曽根崎心中』下巻「道行」 「この世の名殘り、夜も名殘り。 死にに行く身をたとふればあだしが原の道の霜。 一足づつに消えて行く夢の夢こそ哀れなれ。 あれ數ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、 殘る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め。 寂滅為楽と響くなり。」
昔流れた秀逸なTVコマーシャル <*1> 開いた魚類図鑑から抜け出したCGの魚たちが ウヰスキーグラスの周りに寄ってくる まるで渓流の中のように 興味深げに顔を寄せてグラスの中を覗く魚たち 氷がカランと傾くその音に 魚たちはスッと一瞬身を引く その動きが繊細で魅力的だった 流れる曲は、フォーレの『パヴァーヌ』 http://www.voiceblog.jp/andotowa/439775.html コマーシャルでは微かな歌がかぶさっていたように思う 検索の結果、アニー・ハズラムのCDを取り寄せて聴いてみた <*2> あの魚たちの画面が蘇るようだ <*1>「スーパーニッカ魚図鑑」(1993~94?年放映) <*2>Annie Haslam "BLESSING IN DISGUISE"(1994) の中の「THE SWEETEST KISS」という曲だった フォーレの「パヴァーヌ」をこんな歌詞で歌っている "We will be a melody so free and fraglance on the cooling breeze you to me such gentle poetry and who would not love days like these..." 職場からの帰路、星を仰ぎつつ自転車で口ずさんでいる
「暗い日曜日」 昔からダミアの歌(Sombre Dimanche)として聴いているので シャンソンの名曲だと思っていたら、原曲はハンガリーで発表されているのだった。 「Szomorú vasárnap(Gloomy Sunday)」 作詞:László Jávor(ヤーヴォル・ラースロー) <*1> <*2> 作曲:Rezső Seress(シェレッシュ・レジェー) 亡き恋人への悲嘆を自らの死への思いに重ねて沈鬱に歌い上げるこの哀歌は、 時まさにナチス・ドイツの軍事侵攻下のハンガリーに多くの自殺者を招いたとして、 「Hungarian Suicide(自殺) Song」の異名を取ったことでも有名。 オリジナルのハンガリー語の歌を初め ビリー・ホリデイやビョークの歌もある中、 サラ・マクラクランの歌も美しい。 映画の場面にも使われていると思ったら なんと、この歌を題材にした映画だった。無論ハンガリー語で唄っている。 作曲家自身による短い音源もあった。 <*1> (映画の女性が歌う歌詞を追えばハンガリー語の音韻が味わえます) Szomorú vasárnap száz fehér virággal vártalak kedvesem templomi imával. Álmokat kergető vasárnap délelőtt, bánatom hintaja nélküled visszajött. Azóta szomorú mindig a vasárnap, könny csak az italom, kenyerem a bánat. Szomorú vasárnap. Utolsó vasárnap kedvesem gyere el, pap is lesz, koporsó, ravatal, gyászlepel. Akkor is virág vár, virág és - koporsó. Virágos fák alatt utam az utolsó. Nyitva lesz a szemem, hogy még egyszer lássalak. Ne félj a szememtől, holtan is áldalak... Utolsó vasárnap. (英訳) I was waiting for you on a gloomy sunday with thousands of white flowers, with a prayer, my dear. The chariot of my sorrow comes back without you on a dream-chasing sunday morning. Sunday is gloomy since then, tears are my drink, sorrow is my meal. Gloomy sunday. Come to me, my dear on the last sunday, there'll be priest, coffin, feretory, hearsecloth. Flowers will wait you, flowers - and coffin. My last journey under blooming trees. My eyes will be open, to see you the last time. Don't afraid from my eyes, I bless you dead. Last sunday. <*2> 各々カタカナ訳ではヤーヴォル・ラースロー、シェレッシュ・レジェーと あるのだけど、ハンガリー語では姓名の順が欧米式とは逆のようです。 そう言えば先駆的チベット学者ケーレシ・チョマ(アレクサンダー・チョーマ・ド・ケレス)は、 母国語ハンガリー語との関連を研究にチベットに逗留、西蔵語文法書をものしたのだった。 姓名の順にしても、東洋諸語との言語的関連があるのかもしれない。 かつてハンガリー人の高校生に漱石の作品を読んでやったことがあるけれど、 チョーマ・ド・ケレスの上記本を見せてやったところ、極東の国で母国人の本に 出遭ったというのに、左程の感慨もなかったようだ。やはり現代の若者か・・・。 (先程書斎の本棚から再発掘を試みたのだけど、堆積量が多くて諦めた)
『涙のパヴァーヌ(Lachremae Pavan)』 作曲のジョン・ダウランドはエリザベス朝のリュートの名手。 ヘンリー・パーセルと並び称される作曲家でもあったらしい。 「パヴァーヌ」という意味には諸説あるらしいのだけど、 スペイン語の「pavon(孔雀)」からきた「孔雀の舞」という説明が美しい。 この曲がフェルメールの絵の解説にあったようだ。 『リュートを弾く女』だったか・・・・・。 「パヴァーヌ」と言えば、むしろ ラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ(Pavane pour une infante défunte)』が有名。 「亡き王女」というのは誰のことだろう。 ベラスケス描く王女の肖像に触発されたとも言われるから 『王女マルガリータ』のことだろうか。
最近余り更新もせず 開かないままのことも多いのですが フト開いてみると スパムなコメント(恐らく機械的一斉送信)が 入っていたりします。 何だか空き巣に入られたみたいでゾッとします。 ご訪問下さる皆様にも 不愉快な思いをさせて申し訳ありませんでした。 他社のブログには、スパム対策として許可制や 人間の眼で目視した記号・数字を入力しないと コメントできないシステムにしているようです。 エクスブログの管理者にも、その旨導入するよう 提言のメールを入れました。 その仕組みが出来るまでの間、コメント欄については 大変不本意ながら、しばらく閉鎖させて頂きます。 その間、時折は更新しようと思いますので 変わらぬご愛顧を願えれば幸いです。 ところで、程よい冷気の満ちる空に冬の星座が配置される季節です。 プロキオンとベテルギウスによって用意された稜線に対して 静々とシリウスが昇ってくるとき、 今年も冬の大三角形が夜空を巡ります。 星々は全く無関係に所を占めていることだろうに、 地球の一点から見て仮定された架空線によって 成り立つかたち・・・ 架空線によって夜空に浮かび上がる星座、 人間の眼によって目視されたかたち、 なるほど、それを入力することによって 私たちは、約束されたサイトに入って行けるのですね。 冬の星座もさることながら、ほんとに寒くなってきました。 職場でもインフルエンザ予防注射の申し込み用紙が 机上に載っていたりします。 皆さま、ご自愛なされますように。
しばらく黙然としているうちに 蟲の音も潜まる季節になっておりました。 このペ-ジも永らく更新せぬままだったので、 具合でも悪くしたのか、とのメール頂戴するなど、 ご心配有り難うございました。 あれこれご案内頂いていた催し物も 気付くと終わっていたり、 あちこちに失敬の段、お許しください。 そんな中、世事に疎い私の耳にも 世界経済の動揺が聞こえてきて、 金融危機に喘ぐアイスランドなど 国ごと売りに出されるのでは などと冗談を言っていた矢先 ホントに、こんな記事が・・・ 「アイスランドがeBayで売りに出される」 eBayとは「世界最大」のネットオークションサイトですが、 そこに冗談で「売り」に出されたらしい。 入札者からの質問も 「COD(代金着払い)もあり?」 「火山・地震保険付き?」 「支払いが凍結されたりしないでしょうね」 一方「出品者」からは 「ただし、Björkは含まれません」 99ペンスから始まったそのオークション、 1700万ドルまで上がったあたりで削除されたとか。 そう言えば、アラスカだって200年前に760万ドルで ロシアからアメリカに売られたのだったし。 財産も国土も、永遠に安泰で人手に渡らないとは 限らないのでしょうネェ。 このアイスランド競売ジョークも、ホントに冗談ではないかも… さて、LAへ新婚旅行に出かけるというめでたい話も聞く昨今、 今日は何と、あの「ロス疑惑」の主人公M氏の突然の自裁。 数十年の人間の歴史(ヒストリー/ストーリー)も一転して幕…。 ストーリーもヒストリーも積み重ねのドラマのはずなのに 解す可からざるものとしての不可解が付きまといますねェ。 不可解の海に浮かぶお椀の舟のような我らが行方 せめては導きの星を仰ぎつつドンブラコ・・・ ともかくも安泰堅固なお椀であればこそ ストーリーもヒストリーも 長く続くに違いありません <*> <*> お椀の舟に乗って海に漕ぎ出す三賢人の話が 『マザーグース』にありましたっけ。 歌詞の中の「Gotham」は、『バットマン』で言えば 「ゴッサム・シティ」ですかね。 「衆愚の町」の三賢人 お椀の舟で海に漕ぎ出した ただお椀がもっと頑丈だったなら このお話ももっと続いただろうにね Three wise men of Gotham Went to sea in a bowl: And if the bowl had been stronger My song would have been longer
今日ブリジットが死んだ。 明け方、キェルケゴールについてちょっと確認するのに ネットを開いていた。 昔と違って、今はあれこれ本を開かずとも、 彼の父が終生抱いた「神の怒りと罪」の問題やら 彼自身の思想の詳細や人生の諸段階が様々ダイジェスト…。 そんなあれこれのページを何となく懐かしく気恥ずかしく、 しばらく読み飛ばしていた。 部屋の片隅で何だかガサガサと音がしたような気がしてはいた。 聞いたこともない感触の音ではあったけれど、 ハッとするほど大きい音ではなし、 きっと猫が何か又いたずらしているのだろう、と たかをくくっていた。 数時間経ち、朝食のテーブルについた時、 いつも二匹で擦り寄ってくる金魚の影が一つしか見えない。 おや?、と思って上から覗き込んでも明らかに一匹だけ。 慌てて金魚鉢の後ろのミニ薔薇の入ったバスケットを覗くと 果たして、ブリジットが横たわっている。 既にピクリとも動かない。 急いで洗面所に持って行く途中、 バスケットの底に触れていた側が乾き気味であることに もう駄目だ、という思いが走る。 プラスチックの容器に入れて水を流し入れつつ 両方のエラの辺りを軽くつまむようにして人工呼吸を施し続けた。 顎の辺りにはチアノーゼのような黒い点が数箇所浮かんでいる。 身体の表面から白い霞のようなものが流れ始めたのを見て、 人工呼吸をやめた。 柔らかい紙にくるんでプラスチックの容器に収め 黒いビニールでくるんだ。 あの変な音がしていた時に気付くべきだったのだ。 いや、気付いたのだから椅子を立って確認するべきだったのだ。 大したことではあるまい、とたかをくくった怠慢さが ブリジットを殺した。 そう、「人生の諸段階」としての 「美的段階、倫理的段階、宗教的段階」などに目をやっているうちに 金魚のブリジットは、緩慢なる死の段階を苦しく歩んでいたのだった。 最後に、綺麗に洗って納めてやるとき、 豊かに美しい尾びれがボロボロになっていることに気付いた。 ミニ薔薇のバスケットを見ると、激しく振ったのだろう 紅い尾の一部がこびりついていた。 しばらく喪に服し、魚を食べないことにする。 <08/0520付記> ・・・などと思いつつ、 舎監明けの朝食にサンマの梅煮が出た。 ブリジットのことも思い出さずに食べ終えていた。 これもまた、哀しい。
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